うらみわびの
【このアニメがおもしろい!】
第30回
宮崎駿・高畑勲 製作
『パンダコパンダ』(1972)
勝手に評価表 |
|
ストーリー |
☆☆☆ |
アクション |
☆☆☆☆☆ |
感動 |
☆☆☆☆ |
久しぶりに
いやぁ~久しぶりに見ました。
私にとってこの『パンダコパンダ』は子どもの頃のアニメの記憶の大きな部分を占めています。
15年ほどぶりに見ましたが、ところどころのセリフはなつかしく思い出しました。いや~色あせないですね。
他には『となりのトトロ』はよく見ましたね。もう何十回と見返しました。宮崎フィルムは私の幼少期の思い出となっています。
子供のころのあの「何度見ても飽きない」という感覚。あれは私の原点でもありますが、年をとるにつれて飽きっぽくなってきているようにも感じます。なんかちょっと寂しい気持ちもします。
さて、この『パンダコパンダ』。もう50年以上前のアニメ。それも30分ほどの作品ですが、心に残るあったか~い作品です。
「20年以上前につくった映画だけれど、いまもぼくたちにとってたいへん大切な作品(参考(1))」と言うのが本作をつくった高畑勲さん。
困難を楽しむ
高畑さんはこうもおっしゃいます。この世の中のあらゆるうれしいこともアクシデントも「お客さん」だと。
予期せぬことは時に残念で辛いものです。それでも困難を乗り越えたときに私たちは成長できる。
むしろ困難を”楽しむ”心が私たちを成長させてくれるのかもしれません。
本作では町はずれに一人で暮らすことになった少女ミミ子。まだ小学生で本来なら心細いはずのミミ子。
「夜になったらお化けが出るかもね」と八百屋のおじさんに脅かされても「こっちから脅かして子分にしちゃうもん」と相手にしない度量も兼ね備えている。
なんというのかな、「困難を楽しむ」姿勢というのがミミ子ちゃんが強い所以ですね。
そんなミミ子にとっての珍客がパンダの親子なんです。子パンダのパンちゃんとお父さんのパパンダ。
パパンダ 「いやぁ~ここは素晴らしい。特に竹やぶが素晴らしい」
ミミ子の持ち前の明るさで珍客と打ち解けることに成功。
こうしてミミ子はパンちゃんのお母さんとして、パパンダはミミ子のお父さんとして生活を共にすることになったのでした。
実はミミ子にはお母さんとお父さんがいません。
だからいわゆる「普通のお母さん・お父さん像」というものがミミ子のなかにある。
「お父さんっていうのはね、帽子をして、パイプをくわえて、会社にいくものなのよ」とパパンダに出社を強要するという寸劇も。
教養としての孝行
本作がユニークなのはパパンダがミミ子に対して決して権威的でなく、相手の話を聴く優しい父親を演じている点である。
思うに、この父親としての”傾聴”の姿勢こそ本作が子どもたち、そして親たちへ向けたメッセージなのではないかな。
明治期に日本の起業を後押しした渋沢栄一は以下のように言っている。
孝行は親がさしてくれて初めてできるもので、子が孝をするのではなく、親が孝をさせるのである。
渋沢栄一 著『論語と算盤』
孝行は親が子に強要するものではない。親が子どもに愛を注げば自然と子供は孝行するようになる、と考える。孝行は教養なのである。
問題はミミ子の持ち合わせる”寛容さ”を社会が持ち合わせているか、ということ。
町においても異様な存在であるパンダと暮らす小学生。1人と2匹の運命はいかに。
参考
(1)パンダコパンダ公式ホームページ(http://www.pandakopanda.jp/index.html)
今日の一曲♪
『青に水底』(2017)
(歌:三月のパンタシア
作詞:n-buna 作曲:n-buna)
夏のうだる暑さは永遠を感じさせる。
一方で過ぎ去った夏ははるか遠い過去のように感じられる。
まるで蜃気楼のように。
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