うらみわび【息抜き】
第68回。
松尾芭蕉の『奥の細道』を旅するシリーズ
第7回。
江戸を出発してはや1ヶ月。
前回よりついに福島県に突入した芭蕉一行。
白河の関を超えて北上を続けます。
浅香山に到着
福島県郡山市に位置する浅香山へ。
ここでの出来事を芭蕉は『奥の細道』に記しています。
等窮が宅を出でて五里ばかり、檜皮の宿を離れて、浅香山あり。道より近し。このあたり沼多し。松尾芭蕉『奥の細道』「浅香山・信夫の里」
等窮とは芭蕉の歌の師匠ともいえる人で先日、芭蕉が旅の途中で彼の家を訪ねたのでした。
そこでは4,5日ほど滞在し、休息と歌の創作を行ったそうです。
それではグーグル・ストリートビューで現在の浅香山を見てみましょう。
現在の浅香山は安積山公園と呼ばれている丘陵地帯となっています。
画像後方が安積山公園です。
前面には
田んぼが広がっていますね。
当時から、こちらに民家があったそうですが、「このあたり沼多し」という記述からも田んぼとして利用されていたのかもしれません。
信夫の里へ
翌日、芭蕉は信夫(しのぶ)の里へ出向きます。
この信夫の里、和歌ではよく詠まれる場所。
例えば百人一首。
陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆえに乱れそめにし 我ならなくに平兼盛
信夫では乱れ模様の衣が名産としてつくられていました。
上記の和歌では恋する相手によって「乱れた」心と陸奥で織られた「乱れ」模様の衣を重ね合わせています。
また、相手を想う「忍ぶ」と衣の産地の「信夫(しのぶ)」をかけている言葉遊び。
なかなか遊び心のある一句です。
そして、ここ信夫の地でどうしても芭蕉が見たかったのが、しのぶもぢ摺りの石とよばれる巨大な石。
この石には当時、文字が書いてあり、その文字は草を摺りつけて出た汁で書いた、と思われていたそう。ちょうど衣を染めるときのように。
明くれば、しのぶもぢ摺(ず)りの石を尋ねて、信夫(しのぶ)の里に行く。遥か山陰の小里に、石半ば土に埋もれてあり。松尾芭蕉『奥の細道』「浅香山・信夫の里」
しかし、芭蕉が見に行ったとき、その石は半分が土の中に埋もれていたそう。
本当は丘の上にあったはずなのに……。
おそるおそる村の子どもに事情を聞いてみると、どうやらかつて、通行人たちが村の麦を根こそぎ取って、この岩にすりつけて試してみたそう。そこで怒った人がこの石をはるか下まで転がしてしまったのだとか。
かの石に記された文字の伝説を試してみたかったのかな。
それにしてもすごい話……。
芭蕉も「さもあるべきことにや(そんなことがあっていいものか)」というご感想。
そこで芭蕉は仕方なくここで歌を詠みます。
早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺り芭蕉
本当はしのぶ摺りの石の雄大さを称えながら詠みたかったでしょう。
しかしながら、それがかなわず。
「昔」という一字にとても芭蕉の想いを感じます。
旅というものは思うようにはいきませんよね。
先の「室の八島」もそうでしたが、思っていた景色と実際が違っていたり。現在でも事前にピックアップしていたお店がお休みだったり、美術館が休館だったり、想定外、確認忘れなんてものは起こりがち。
芭蕉の旅は長い。
今後もこんなイレギュラーも含めて応援していきましょう!
次回は「飯塚の里」を訪れます。
次回もまたお会いしましょう。
今日の一曲♪
『恋せよみんな、ハイ!』(2019)
(歌:Pyxis 歌詞:畑亜貴 作曲:Tom-H@ck)
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