うらみわびの【息抜き】
第54回。
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称えるのは自然だけじゃない!
リモートで松尾芭蕉『奥の細道』を旅するコーナー。
第3回。
今回はかの有名な観光地 日光へ!
3月27日に江戸を出発した芭蕉と曾良。
4月1日には日光って
速くないですか!?
本当に徒歩でいったのだろうか。
それとも他力にたよったのだろうか。
疑問が深まります。
さて、『奥の細道』の「日光」という項のはなしです。
3月30日に日光山のふもとの宿で一泊した際の回想からはじまります。
どうやらその宿の主人が自称正直者ということで、どうかとみてみると、正直のなかでもバカ正直者である、といった趣旨のはなし。
これは決して宿の主人を馬鹿にした話ではなく、ここまで生まれつきの正直者はなかなかなれるものではない、と孔子の『論語』に出てくる剛毅木訥(ごうきぼくとつ)の項を引き合いに出している。ここは芭蕉の詩句への造詣の深さがうかがい知れるところですね。
剛毅木訥、仁に近し。(まっ正直で勇敢で質実で寡黙なのは、人徳に近い)孔子『論語』巻第七 子路第十三金谷治 訳注 岩波書店 1999
遠くから見えた風景を謳ったのでしょうか。付き人の曾良がこのような句をのこしています。
剃り捨てて黒髪山に衣更 (曽良)
黒髪山とは男体山のことです。名前の黒と雪の白との対比を詠んだ句が多いのだとか。
本文では芭蕉はこの曾良の句に対する感想を述べています。
特に、この旅に際して髪をバッサリと切って僧衣に着替えた曾良と歌の「衣更」がよくマッチしていて奥ゆかしい、といった感想を述べています。
グーグル・ストリートビューより。国道250号からの景色。
ちょうど、いろは坂を抜けたあたりかな。湖の向こうに男体山がそびえたちます。
男体山は小学校の修学旅行でバスの車窓から見たのを覚えています。
その前に難所のいろは坂があってね。あれは大変でした(汗)
標高は2486m。意外と高いね。
東照宮を想う
宿のある二荒山についての解説がなされています。
卯月朔日、御山に詣拝す。住昔(そのかみ)、この御山を「二荒山」と書きしを、空海大師開基の時、「日光」と改めたまふ。松尾芭蕉『おくのほそ道』 「日光」なるほど。「二荒」を音読みしたら「日光」になったのね。字も良いイメージが湧くように当て字になってる。日光といえばかの徳川家康や家光が祭られている日光東照宮。ここでは、東照宮について以下の歌が詠まれています。あらたふと青葉若菜の日の光「あらたふと」の「たふと」とは「尊い」ということ。芭蕉俳句の研究者 高柳克弘さんはこの句について以下のように評している。「あらたふと」という表現によって、芭蕉は感情をあらわに打ち出している。この表現は、描写を放棄した観念的な表現とも受け取れる。しかしこの表現は、感情を伝えることが本義ではない。高揚した心中を伝えることで、あふれるばかりの青葉若葉の光が描出されていることを見逃してはならない。高柳克弘『芭蕉の一句』フランス堂 2008p.222
私もこの意見には賛成です。自然を淡々と描写するよりも観察者の心情を載せたほうが文章は活き活きとするものです。これは単に独自性があるだけでなく、人の目を通した自然の再認識。そこに真の自然の魅力が投影されているように思えるのです。
この歌ですが、頴原退蔵、尾形仂 両氏による『おくのほそ道』ではさらに踏み込んだ解釈がなされています。
何心なく卒前としてこの句に対すると、読者はおそらく全山の新緑に照り映える輝かしい初夏の光を眼前に思い浮かべるであろう。それは新鮮な、しかも荘厳な自然美である。この景に対していきなり「あらたふと」と打ち出したことばに、動かせない力がこもっている。初夏の自然を礼賛した句として、まことにすぐれた作だと感ずるにちがいない。しかし、それがいわゆる神君家康を祀った廟での吟であることを考え、さらに「今この御光一天にかかやきて、恩沢八荒にあふれ」という『おくのほそ道』の本文に続いて出てくることを知れば、そう純粋な自然礼賛とのみ受け取ることはできない。いわんやその初案が「木の下闇も日の光」であったとすれば、家康の威徳を讃えようとする考えから出発していたことは明らかである。荏原退蔵 尾形仂 訳注『おくのほそ道』 KADOKAWA 2003 pp.159-160
確かに東照宮の自然を読むだけだとなんだか物足りない。わざわざ東照宮で詠む歌なんだから。
そこに家康公に対する敬意をそれとなく盛り込んでいたとすれば、なかなかですね。
「あらたふと」の対象は目の前の自然と家康公の二つになります。
ただ、単に自然の歌として詠んでみても響の良い歌です。
グーグル・ストリートビューより。日光東照宮。
裏見の滝へ
芭蕉はさらに足を延ばして裏見の滝まで行ったようです。
もともと裏見の滝は滝の裏に入ることができたようです。残念ながら現在は裏に入ることはできません。
芭蕉たちは滝の裏に入ったようです。そこで詠んだ一句。
しばらくは滝にこもるや夏(げ)の初め
夏(げ)とは仏教で4月から7月まで部屋にこもって修行をすることを指す言葉のようです。ちょうどその季節をあらわしたことばでしょうか。
芭蕉も修行のつもりで滝の裏側に座したのかもしれませんね。
グーグル・ストリートビューより。裏見の滝への道。
なかなか自然豊かでいい道です。
実際に歩いてみたいな。
今回は日光を旅しました。
やはり観光の名所というだけあってみるべき場所がたくさんありますね。
実際に歩いたわけではありませんが、こうしてリモートで探索するだけでも十分過ぎるくらい目を楽しませてもらいました。
思っていた以上に自然が豊かですね。5月くらいの新緑の季節に行ったら気持ちいいだろうな。と思いが膨らみます。
【参考】
旅のお供に
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今日の一曲♪
『新たなる』(2020)
(歌:天宮さくら(CV.佐倉綾音) / 東雲初穂(CV.内田真礼) / 望月あざみ(CV.山村響) / アナスタシア・パルマ(CV.福原綾香) / クラリス(CV.早見沙織) / ホワン・ユイ(CV.上坂すみれ) / ランスロット(CV.沼倉愛美) / エリス(CV.水樹奈々)
作詞:イシイジロウ 作曲:田中公平)
新年のはじめにこの一曲を。
あらためてみると名だたるアーティスト陣。豪華!
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