先日より、イギリスのパブが復活したそうです。パブはイギリスの魂といっても過言ではないでしょう。 1パイントのビールを片手に話に花を咲かせる。日本の居酒屋もそうですが、パブは市民の交流の場です。かつてよりパブでは市民が本や新聞を囲んで議論をしていたとか。ドイツの政治哲学者ユルゲン・ハーバーマスは「最初の公共的な市民は読書をする市民である」と言ったそうです。読書は偉大だな~、と思いつつ、イギリスを育んだ公共の精神とそれを育てたパブの存在に思いを馳せています。

 

 

うらみわびの「この映画がおもしろい!」第3回。今回はクリント・イーストウッド監督の『ハドソン川の奇跡」をみます。

 

わずか208秒間の出来事。乗客乗員の生死を分けた判断はどのようにしてなされたのか?

 

 

勝手に評価表

ストーリー

☆☆☆☆☆

アクション

☆☆

感動

☆☆☆

 

 

 どんな映画?

 これは実話に基づく映画です。2009年1月15日。ニューヨークのハドソン川に一機の旅客機が着水しました。原因は鳥を吸い込んだことによるエンジントラブル。機長のチェズレイ・サレンバーガー(サリー)は空港に戻ることを諦め、前代未聞の川への不時着を試みます。幸い死者は0人。115人全員が無事救出されました。トラブルから着水までたった208秒。わずか24分の救出劇だった。後に機長のサリーは「ハドソン川の英雄」と称えられる。しかし……。

 

 

 ここに注目!

 本作の監督は『ミリオンダラー・ベイビー』や『アメリカン・スナイパー』で有名なクリント・イーストウッド監督。主演はトム・ハンクスさん。ハンクスさんは最近、新型コロナウイルスに感染され、心配しました。無事回復され、現在はウイルス研究にも協力されているとか。

 そんな最強タッグの二人が今回は「奇跡」と言われた実話の飛行機事故に挑みます。今作で描かれているテーマは主に2つ。一つは「成功を収めるリーダー像とは」、もう一つは「人は限られた時間で最善の判断を行なえるのか」です。この映画はそんな疑問を私たちに投げかけます。

 

 

 

 

 

 

=======ここからはネタバレを含みます。読み進める際はご注意ください。===

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 偉業の裏側

 本作は2009年に実際に起きた飛行機事故を再現した映画だ。私自身は正直この事故をあまり覚えていない。世間では死亡者を一人も出さなかった機長を「英雄」として称えたそうだ。彼が成し遂げたことはすばらしいことだ、ということは言うまでもない。しかしこの映画は彼の偉業を称えるだけではない。

 この映画でメインで描かれているのは偉業の裏側である。それは国家運輸安全委員会による機長の責任の追及であった。実際にこのような追及があったことは私は承知していない。おそらくこれは映画内での付け足しだったのではないだろうか。いずれにせよ、この映画が投げかけているテーマは一考に値すると思う。「人は限られた時間で最善の判断を行なえるのか」ということだ。

 ここで私の感触を述べるとすれば、委員会の責任追及は機長に対して、あまりにも尊厳を欠いた無機質な行為である、ということである。委員会のスタンスはあまりにも会社よりだ。つまりは、この事故の責任の所在を明確にする、という建前のもと、一人の人間に責任を押し付けようとしているのだ。

 そこには働いている一人の人間への配慮が全くない。委員会は機長を人間ではなく、労働力としてみているのだ。映画のなけでサリーが言った言葉が思い出される。「人的要因(Human factor)が考慮されていない」。つまり委員会の考えは機械的なのである。まったく人間味(Art)が介在していない。これでは人が持てる力を発揮できる場所が整っていないと感じた。

 

 

 

 求められるリーダー像とは?

 サリー機長は類まれなるリーダーシップをもった人物である。それは①他者への尊敬の念を忘れず、②自分に自信を持ち、③自分に過信しない、からだ。この3つをすべて持ったリーダーはそういないのではないだろうか。

 サリー機長は常に仲間への尊敬の念を忘れない人だった。彼は事故の後、インタビューで自身が英雄と称えられていることに関して、「仲間たちがプロとしての仕事を全うしてくれたからこそ、無事に乗り切ることができた」という趣旨の発言をしていたそうだ。確かに彼はこの奇跡に不可欠なピースの一つであることは間違いない。しかし、この奇跡が起きたのは、彼の行動だけでなく、周りの仲間たちの迅速かつ的確な行動によるものだった、と彼は言うのだ。これは映画の中で私が印象的だったシーンの一つでもある。飛行機が川に着水しようとしているとき、操縦室にもフライトアテンダントの声が聞こえてきた。機長の背中でもそれぞれの「職務」が行われていたのだ、と実感した。

 サリーは自分の判断に常に自信をもっている。それは公聴会での彼の態度を見れば明らかだ。そして彼は自分だけでなく、仲間の働きにも誇りをもっている。彼は作中でこのように述べている。

I don't like not being in control of the process.

(私は自分のことは自分で決めたい)

 なぜ、彼はここまで自分に自信が持てるのだろうか。それは彼がこれまで培ってきた経験にある。

I've delivered a million passengers over 40 years in the air, but in the end. I'm gonna be judged on 208 seconds.

(私は40年以上にわたり多くの乗客を飛行機で運んできた。それでも結局、私は208秒での出来事で判断されてしまうのだ。)

同時に彼はたった208秒での自らの行動で今後が判断されてしまうことにやるせない思いを滲ませている。

 彼がここまで自分に自信が持てるのは、これまで自らが努力をしてきたという確かな実感が土台にあるからだ。それは一朝一夕のものではない。毎日を真剣に生きてきた証である。彼はこれまでも自分の仕事に手を抜いたことはないはずだ。だからこそ、他者からの批判に毅然として立ち向かえるのである。

 だからといって、彼は自分を過信することはない。聞くところによると、彼は仕事前に必ず、非常事態を想定して自らでシミュレーションをしていたそうである。たった208秒の間に前例のない判断を不断に決したのは、それまでの彼の数々の想定の賜物である。

 

 ここから見えてくるものがある。それは、「今」の判断は常に「過去」の想定によってなされている、ということである。「先経的過去」ともいわれる、この考えは、物事を自由に行うには、その決定は過去に終えていなければならない、と説く。これを本作の例にとると、ハドソン川の奇跡は208秒間におけるサリー機長の判断だけではなく、それ以前、彼の長年にわたるキャリアにおける普段の努力の賜物である、といえる。したがってこれは決して「奇跡」ではなく、必然であったのだ。

 これをさらに発展させていくと、職場教育にも生きてくる。ハドソン川の奇跡はひとえにサリー機長の長年のキャリアが生んだものだ。裏を返せば、キャリアの浅い若手が「奇跡」を起こしにくいことは当たり前なのである。このことを前提として、上司はおごることなく、若手も卑屈になることなく、お互いが手を取り合いながら働くことができれば、職場はプレイヤーが自分の能力を思う存分発揮できるフィールドとなるだろう。

 

 私たちは、いつ何が起こるか分からない、という状況のなかを生きている。この不確実性は避けられない不幸のように感じてしまう。しかし、その緩衝材として先験的過去は使えるだろう。つまり私たちが「今」を誠実に生きることが未来の保険につながるのだ。そして未来の選択はその時の私たちの体調に依存する。つまり、私たちが心身ともに健康であること自体が未来の選択に寄与するのだ。そのためにも私たちは自分の「今」に自信を持ち、充実した人生を送ることが大切である、と考える。

 

 

 

いつも読んでくださり、ありがとうございます。

 

 

今日の一曲♪

『Synchrogazar』(歌:水樹奈々 作詞:水樹奈々 作曲:上松範康)(2012)

遅ればせながら、水樹奈々さん、結婚おめでとうございます!お相手は音楽関係の方、ということでプライベートでも音楽のことで盛り上がるのでしょう。

 

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