JR渋谷駅の工事を行っているみたいですね。これまで利用が不便だと言われてきた埼京線のホームが山手線のホームと並列になるようです。私は全く利用しないので分かりませんが、もともと「乗り換えが間に合わない」と某乗り換え案内アプリに苦情が多かった、と言うのは承知しています。アプリだけでなくホームの方から歩み寄ったということですな。いやはや、写真も拝見しましたが、工事の方々、お疲れ様です!
うらみわびの「このアニメがおもしろい!」第2回 『鋼の錬金術師』後編であります。
勝手に評価表 |
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ストーリー |
☆☆☆☆☆ |
アクション |
☆☆☆☆ |
感動 |
☆☆☆☆☆ |
私たちは何を追い求めてきたのだろうか? 何を得たのだろうか?
あらすじ
セントラルでの動乱を鎮めたエドワードとアルフォンスは賢者の石の情報を求めて旅に出る。死者をもよみがえらせる賢者の石は大量の人間の命を材料にしてつくられることを告げられた2人は諦めてはいなかった。しかし彼らに立ちはだかる壁は大きい。不死の体をもつホムンクルス、暗躍する軍、かつての師匠など・・・。彼らは賢者の石を手に入れ、自らの体を取り戻すことはできるのだろうか。
最終話で初めて気づきましたが、水樹奈々さんがラース役で出てらしたんですね。声優陣が豪華で、なによりも登場人物のキャラが濃いのが本作の魅力です。最後の数話はイッキ見してしまいました。
=======ここからはネタバレを含みます。読み進める際にはご注意ください。=================
離れ離れになった兄弟
最終話は衝撃的だった。まさか兄弟が離れ離れになってしまうとは。これまではお互いの体を取り戻すことに主軸をおいていたので、この結末は想像してなかった。結果として、失ったものを追い求めていたら、更に失ってしまった、ということか。なんたる悲劇よ。
この物語では「等価交換の原則」が世界のルールである、と信じられていた。つまり、「代価と引き換えに、それと同等のものが手に入る」というものである。エルリック兄弟もこの理論を信じて疑っていない。しかし最後に突き付けられた事実は残酷だった。彼らは体を失い、4年間という歳月を費やして得たものは何だったのか。
印象的なのは生きる世界こそ違うものの、エルリック兄弟が生きている、ということである。兄は科学が発達した世界に、弟は錬金術が発達した世界に生きている。驚くべきことに、彼らは希望を失っていない。お互いの再開を信じて疑っていないのだ。彼らは今後も再開のために人生の時間を費やすことになるだろう。
彼らのこれまでの人生の歩みで様々な教訓を得てきたはずだ。「全は一。一は全。」、人体錬成を試みて失った体、人を殺した経験、娘をキメラにしてしまった化学者の末路、等々。エルリック兄弟は多くの過ちを犯してきたと同時に、数々の人類の過ちを目の当たりにしてきた。そういったものが積み重なって今の彼らがいる。賢者の石を手に入れた兄弟であったが、エドワードはそれを使おうとしなかった。幾多もの命が犠牲となった石を使うことができなかったのだ。彼は己が野望よりも人としての倫理を優先したのだ。「そこまでして、失ったものを取り戻して何になる」。そんな疑問が彼の頭にあったのかもしれない。
等価交換の原則の破綻
エルリック兄弟はこれまでの人生で失ったものと得たものがあった。しかし彼らが得たものは失ったものに見合うだけの価値はあるのだろうか。彼らはもう大切なものを犠牲にしてまでも何かを得ようとはしないだろうし、失ったものを無理に取り戻そうともしないはずである。そんな前向きな心を彼らは手に入れた。しかしエルリック兄弟は離れ離れになってしまったのだ。 彼らが手にしたものは失ったものに比べてちっぽけなように見える。
人生は長いほうが幸せなのか
本編の最後に赤ちゃんが殺されそうになる場面がある。そこで問いが立てられる。「うまれてきた子供がすぐに殺される。彼の人生はそれに見合ったものが得られたのだろうか」、「同じように努力をしても成就するものとしない者がいる。苦労せずに一生を裕福に暮らして終える者もいる。果たしてこれが平等といえるのだろうか」。これらの問いは等価交換の原則を否定するものである。確かにこの世の中は不条理で満ちている。生まれてくる国、人種、家族、等々によって私たちの人生の難易度は変わるものだ。はたしてこの世の中で何人の人が「私の人生ハードモード」だと思っているのだろうか。なんとも世知辛い。私たちは親を選んで生まれてきたわけではないのに。
それと同時に次のような問いが立てられる。「人生は長いほうが幸せなのか」というものだ。世知辛い人生ならはやく幕を閉じたほうが幸せだ、と感じる人がいるかもしれない。一方、人生でこれから得られるであろうことが得られないのだから、早く死ぬのは不幸である、と考えるがいるかもしれない。この問いに対して私は一概には言えないが、一つ可能な論を展開することとする。
そもそも等価交換の原則を我々の人生に当てはめようとすること自体に限界がある気がする。等価交換とは言うなれば、Give and take がその両辺で平等である、という理論であると認識している。これまで見てきたとおり、人生は失敗の連続であり、明らかに失ってきたものの方が多い。もう少し正確に言えば、失ってきたものの「数」、「回数」が多い。一方で私たちは「失敗から得られるものは多い」と言い、「失敗なくては成功なし」と言う。このままでは、「損をしろ」と言わんばかりではないか。
では、なぜ私たちは「損をしている」と感じるのであろうか。それは過去と現在を一直線にして比べているからである。この視点は半分正解で、半分間違いである、と指摘しておく。つまり、現在は過去の延長線であることには賛成である。私たちは過去の失敗を糧に今を生きているし、過去に立てた大きなビジョンの上で今が成り立っている人も多い。しかし、現在を過去と比較しすぎてしまうのはいささか危険だ。私たちは現在を生きている。過去に生きることはできない。ましてや過去に戻る、なんてことはできない。だから過去に失ったものを気にして今を生きてはいけない。その反対に未来には無限の可能性がある。私たち今の生き方次第で未来は七変化する。過去を嘆くくらいなら、今を精一杯生きよう。
過去が恵まれていなかったから、今も恵まれていない。今を生きる力などない、と言う人もいると思う。私もこの世の不平等を憂う。私は不平等、不条理とは戦うが、一方で、己の力が及ばないものにあらがっても仕方がない、と思っている。そんなときはたくさんのものをもつよりも質の良いものを少なくもつように心がけている。「等価交換の原理」に話を戻すと、多くを手に入れられないが、質の良いものが手に入れば結果的に損をしていてもよいと思う。それよりもこれからを楽しく生きたいものだ。
不完全なもの宿るうつくしさ
これは最終話にマスタング准将とホーエンハイムが言っていた言葉である。「不完全なものこそ美しい」。この物語は決してハッピーエンドで終わってはいない。しかしこの物語を通りて登場人物たちは何かを確実に得ている。もしかしたら私たちは美しい終わり方を無意識に求めていたのかもしれない。しかしそんな終わり方は現実には不可能なのかもしれない。人生は失敗の連続である。失敗を代償に私たちは教訓を得るのである。そして今を生きている。私たちが自己嫌悪に陥るのは私たちが、何かしらの欠点を自らの中に見るからである。しかし欠点のない人間などいようか。最終話の彼らのセリフが忘れられない。
最終話のタイトルは「ミュンヘン1921」である。ミュンヘンはドイツ南西部の街。バロック建築がなんとも美しい。そんな街は当時争いの舞台となったことを歴史が教えてくれている。当時のドイツは第1次世界大戦後、敗戦による多額の賠償金を抱えており、自国内では超インフレが起こっていた。国民の不満は募っており、これが後のヒトラーの台頭を招いたとされている。ヒトラーが初めにおこした反乱が1923年ミュンヘン一揆であった。ドイツは排他主義の国家へと変貌していく。
第一次世界大戦の教訓の一つが「敗者に寄り添う姿勢の大切さ」である。敗戦国のドイツを賠償金を支払わせて痛めつけたことが後のドイツの排他主義、強いては第二次世界大戦を生んだともされている。ここでも失敗を完全に否定するのではなく、今を生きるためにするべきこと、に注力しなければならないことが分かる。
第50話、51話ではベートーヴェン作曲『交響曲第5番ハ短調』、別名『運命』が流れていた。これは単に「人々の争い」はさけられぬ運命である、という結論にも達するが、もうひとつ注目しておきたい。
ベートーヴェンはドイツの作曲家であり「楽聖」とほめたたえられていた。そんな彼は若くして難聴に苦しむ。作曲家としては致命的なハンデを背負いながら彼は名曲を作り続けたのである。『運命』も彼が難聴を自覚してからかかれた曲である。大切なのは失ったことを嘆くのではなく、そこから自身で道を切り開くことなのかもしれない。
ロイ・マスタングという人間
私のかつての恋人が彼が大好きだったので、一筆入れておく。彼は野心溢れる男であった。大総統になって、軍の理不尽をなくすために手段を択ばない男だった。しかし彼は野心を捨てる。親友ヒューズを殺されたからである。結局、彼は憎しみには勝てなかった。
野心ある人は世の中で評価されているように感じる。求めていることが明確かつ強い人が大成する、と考えられる。しかしそれだけではだめなのだ。目の前のものを守るために野心を捨てる覚悟も必要である。ここでは失ったものは帰って来ない、というべきか。
彼はキングフラッドレイとの一戦で、片目を負傷した。もしかしたらもう彼の片目はもとに戻らないかもしれない。そんな彼が行った「不完全なものの美しさ」という発言はなんとも深いものがある。
本編が佳境に差し掛かるにつれ、いったい敵が誰なのか分からなくなってきた。これまで敵だと思ってきたホムンクルスも歴史の被害者であった。
最後にホムンクルスのグラットニーが悲しい表情をみせたのは興味深い.。創られた人間であっても感情を持ちえたのである。本当に悪いのは高みを目指した人間なのであろうか。バベルの塔はついに崩れた。
最後まで本当に見ごたえのあるアニメであった。このような大作に出会えたことが幸せである。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日の一曲♪
リライト (歌:Asian Kung-fu Generation 作詞:後藤正文 作曲:後藤正文)
本アニメの第4シーズンのオープニング曲。 歌詞がアニメとマッチしています。