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文化系寄り道倶楽部

アラフォーで2児のパパであり、80年代の音楽をこよなく愛し、ガンプラを愛で、パソコンをいじくり倒し、台所を妻から奪い取り、キングの小説におびえ、究極超人あ~るで笑いころげ、夜な夜なUST配信をしている

原発に対する賛否両論

そして放射能への不安

原発事故による風評被害

様々な人が様々な立場から物をいい

ある人は訴え、ある人は声を荒げ、ある人は謝り、ある人は沈黙する

また、ある人は歌い、ある人たちは集い、ある人たちは頭を垂れる

でも、みんな生きている

死んでいった人たちの屍の上を歩いて生きていく

避けて通ることのできない屍を、踏みつけていくのなら、下を向かずに、上を向いて、前を向いて、そして死者への大いなる慈愛と敬愛と尊重、そして自責の念。僕たちは今も誰かの犠牲の上に立って生きているんだという真摯な気持ちを忘れないで歩いていきたい

たとえどんなに恐ろしくても、死者の言葉に耳を傾けなければならない。死者の痛みを感じなければならない。決して死者をよけて歩いてはいけない。


方法論をぶっ飛ばして、原発に頼らない生活を手に入れたとしても、ボクらはまだ、綱渡りを続けなければならない。気を緩めれば、また、犠牲者が増える。助けられる命が助からない。誰かの未来を奪い、消費しながら生きることに、何の意味があるのか?

一度稼動した原発は、廃炉にするのにとてつもない時間と労力、すなわち費用がかかる。
もしかしたら、それは、原発を使い続けることよりもはるかに経済的にリスクかもしれない。
でもそれは、果たして、乗り越えられないリスクだろうか?
放射性廃棄物という、地球規模で汚染してしまう有害な物質を作り続けることといったいどんなことがつりあうだけの価値があるのだろうか

100年で原発による発電をゼロにする

そういうスパンでしか語れないくらい厄介なものを抱えて、それでもボクらは綱渡りを続けなければならない。100年に一度が二度来る確立は、そんなに低くはないのだから
今日、4月10日、東京高円寺で15000人(主催者発表)の反原発デモがあったそうだ

あったそうだ

というのは、この時点で、東京の主要なメディアではほとんど無視されている
ネットの検索ランキング上位に上がり出したことで、ぼちぼちニュースとして取り上げられるのか

さて、そこから見えるもの

都内で1万5千人規模の、それも震災に関係のあるデモが行われているにもかかわらず、それをスルーしそうな大手マスコミ

子供を連れてデモに参加する人々


デモのニュースに冷ややかな視線
「デモやるくらいなら、福島でボランティアでもやれよ」
「原発やめて、代わりの電気どうすんの?代替案あるの?」
「そんなこと無駄だよ。安保の規模だってなにも変わらなかったんだから」

それぞれの立場で、いろんなことを考えるし、言うし、行動する

それこそが肝心なことだよね

問題提起しないとさ、なにも始まらないし、変わらない

何も始める必要もないし、変える必要もない

そう考える人は、そう、大きな声で言えばいい

このままじゃいけない、何とかしなきゃ

そう考える人は、もっと大きな声で言えばいい

どんなに批判されようが、行動が伴わなくてもかまわない

あなたは学者でもなければ、技術者でもない

あなたが代替案を考えることなど、そもそもないのだ


福島の為じゃない、自分の為、自分の子供の為

それでいいんじゃない?

あなたは不安なのだから

あなたの子供が原子力発電所で仕事をするようになり、被曝もしていないのに、みんなあなたの子供を遠ざける。

「原発で働いている男の所に嫁は出せない」

そういうことは、現実的にあるのだから


何も変わらないことは無駄じゃない

そのとき、どう考え、どう行動したかが記録に残る

だれも太平洋戦争を止められなかった

止められなかったひとの行為は無駄だったのか?

いや、歴史を学ぶときに、あのとき、こういう人の意見をもっと聞くべきだったと学ぶはずだ


何も特別なことじゃない

嫌なことは嫌だと

そして、意見を同じくした人が集まっただけの話だ

ニュースに取り上げるほどのことではないのかもしれない

でも、それを選ぶのは誰かということを、僕らは意識しなければならない

届けられたニュースは、選ばれたニュースであることを


ここで語られていることがすべて真実かどうか、事実であるかどうか
ボクにはわからない

でも、わからないときは、わからないけど、どうなんだろう?
って、ね

疑問に持つことはいいんじゃない

これを見て、パニックになるほどのことはない

それを理由に「流言蜚語」と決め付ける感覚には「怖気がする」


http://www.ustream.tv/recorded/13808412


大丈夫だ
という意見と同等に

危険だ
というこえ声があがらないことのほうが


間違いなくおかしい

だって、蓋を開けるまで、中がどうなっているかわからないのだから
ピンクレディが復活し、活動を再開した

過日、そのイベントが開催され、USTで放送したのを見て懐かしさ以上の感動を覚えた

これってなんだろう?

昭和後期の歌謡曲って、人を楽しませる力がすごくある

あmぁ、ヒット曲は山ほどあるピンクレディですが、その中でもちょっと異色というか、でも、いま、聴くとこれはこれでありだなぁと思った曲です


※ピンクタイフーンは2曲目です




やっちゃいな、やちゃいな、やりたくなったら、たっちゃいな♪

すげーw


これの原曲はvillagepeopleのIn the Navy
この曲はピンクレディ以外にも二組ほどカバーしてますが、まぁそれはさておき・・・


In the Navy villagepeople
http://www.youtube.com/watch?v=InBXu-iY7cw&feature=related



一番有名なのは西城秀樹のYMCAでしょうね
同じアーチストの曲が同時期に複数の曲が複数の歌い手にカヴァーされるというのは、やはりそれだけvillagepeopleには魅力があったんでしょうね
みんなでがんばろう=自分も含む
がんばってください=自分を含まない

ここがね、むずかしいところで魔女狩りじゃなく、正しく使いたい

『がんばってください』を使う時は、相手が「わたし、がんばります」と言ったときに、「がんばってください」「がんばってね」と声をかけるのは正しい。

マラソンランナーに「がんばって!」って応援するのは正しい
競技をやる人は、そもそも己のためにふんばっているはずなのだから、いきなり「がんばって」はOKです


さて、「がんばる」ってね

『頑張る』って語源ははっきりしてないんだけど、

一生懸命という言葉はもとは 一所懸命で、武士が持ち場を命がけで守ることから使われる言葉

多分、頑張るはその状態を表す意味で、もともとは使われていたと思う

だから、いきなり「頑張ってね」

というのはたぶん、ちょっとちがうんだね

自らの使命感で、その場所で踏ん張っているという状態の人ならまだしも、辛い状況を強要されてしまっている人に「頑張って」って言わないほうがいいよって、そういうことだと思う


「頑張る」を魔女狩りみたいに「使うのはおかしい」と騒ぐのも、まぁ、おかしいと思うわけです

こういうことは、脊髄反射的に反応するのではなく、ゆっくり、じっくり考えればね

きっといい答えが見つかると思う

それは必ずしも絶対の正解じゃない

真実とか真理って言うのは、いわば北極点みたいに常に動いていると思うんだな

だから、そういうものをつねに追い続け、見定めようとすることが大事だと思う


昨日正しかった事が、今日正しいとは限らないし、明日にはまた変わるかもしれない