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文化系寄り道倶楽部

アラフォーで2児のパパであり、80年代の音楽をこよなく愛し、ガンプラを愛で、パソコンをいじくり倒し、台所を妻から奪い取り、キングの小説におびえ、究極超人あ~るで笑いころげ、夜な夜なUST配信をしている

悪役・・・それは広く世間で知られている一種の社会システム

というのが僕の結論なのだが

ここで、魔女やら鬼やら西洋の狼、日本の狐や狸の話をする前に、もっと手短なお話をしましょう


さて、手っ取り早くこのランキングを見てもらうのがいいかな


http://makemyself.blog64.fc2.com/blog-entry-329.html

その国の社会というものを理解するのに、きっとこういうランキングは何かしらの役には立つのだろうけど、まぁ堅い話はなしで、文化の違う国のそれをみて、やはり、日本であればどうなんだろうとか思うわけです


国民的悪役とは・・・


まぁ、映画界とかに限定するのも面白いけど、日本人にとって悪役とは

たとえば、ザ・デストロイヤーに代表される悪役レスラー
プロレスとはまさにヒールありきで成り立つ興行ですからね

映画ならまずモンスター代表としてゴジラが最有力ですかね

アニメなら宇宙戦艦ヤマトのデスラー総統に代表されるような軍国主義者、帝国主義者のステレオタイプがまず思い浮かびます

でも、ヤマトもいまではそれほどメジャーじゃないかな

メジャーさでいえばやはりジブリ作品から「天空の城ラピュタ」のムスカは名悪役といえるでしょう


でもでも・・・


日本人にとって最強の悪役、共通認識としての完全ステレオタイプの悪役はずばり



越前屋!



そう、時代劇に出てくる悪代官と結託して影で悪事を働くあの極悪非道な商人です!

「くくくくっ、越前屋 おぬしも悪よのぉ」

この台詞、何度聞いたことか(いや、聞いた気になっているだけかとw)

大事なところはこの台詞の 「おぬしも」の「も」です

つまり、この悪代官は自分が悪事を働いていることを自覚しているのですが、越前屋はそうではありません。これは悪でも善でもなく、商売=ビジネスだと割り切っているところが、悪代官の上を行っているのです


しかし、人の印象とはよりわかりやすい悪に向けて強く残ります

この悪代官

やってはいけないことを・・・というか実は一度はやってみたい男のロマン?をやってしまうから、世間から「悪代官」と呼ばれるのです

その「悪」とはズバリ!


「あ~~~れ~~~」と言ってくるくるまわるやつ
いたいけな町娘の帯を解き、コマのようにまわしてしまうアレですw

なんてひどいことを!(ただし、男なら一度はやってみたいがな・・・)
と反感を等価で買い、うらやましいとねたむ男子の不快感を3倍で買っているのです

そう、あれは通常の3倍の・・・シャアかw



シャアもまた、悪役ではありますが、これはもう、どっちが正義でどっちが悪か?
戦争に正義も悪もないという時代の作品ですからね
その中にあって、あやりギレンのような悪役、そしてドズルのようなヒールはドラマの構成上必要不可欠なわけですね

実は日本人には悪役ベスト10的な発想って難しいと思うんです・・・というか、アメリカのあのランキングのようにある一定の価値観を共有できない

できないというか「悪」という考え方が少しばかり違うというか・・・


さきに、あげたザ・デストライヤー、ゴジラ、デスラーというのは、物語が進むと実は完全な悪に徹しきれないで、ヒーローになってしまう

その意味ではムスカはまさに完全な悪を貫いた名悪役なのでしょうが、日本においてそういう存在は実は稀有です

ここに日本人の文化、メンタリティーの特徴があるように思えるのですが、まぁ、そういう話はまた次の機会に・・・



昨年末、僕は頭からパンツを被りました・・・


で、その時の体験を基にして書いた作品がこれです!

『パンツを被る男』

やや長めですが、たぶん、一気に読める内容かと思います


設定的にはホラーっぽいのですが、心温まるお話です


だって


パンツ被るんですからw
インフルエンザに感染し、すっかり生活のペースが乱れてしまった

もちろんそれだけではないのだが、創作活動に集中のできない日々が続いた

ようやくの思いで、『朔夜~月のない夜に』の第11話を更新し、それだけで僕の精も根も使い果たしてしまい、同時に連載している『メロウ―螺旋階段の君―』の更新は相変わらず滞ったままだ


アイデアがあふれ出てくるような状況というのは、物語の書き始めに僕の中ではおきる


逆に筆が止まるのはやはり終盤である

一つには、その作品を終わらせることへの なんとなくさみしさ

一つには、これで十分だったのか、思い残したことはないのかという迷い

そして、もうひとつ、僕にこの作品の決着をつけることを鈍らせる理由がある



この作品は自叙伝的な部分が大きい

恋愛小説などというものは、自分が消化した恋愛の機微のようなものを書き記すもので、逆に言えば消化しきれていないことは、書けば書くほどに支離滅裂になるのだと 僕は考える

ほかの人はともかく、 僕はきっとそうなのだ


これから「描こう」と思っている内容は、僕の中でやはり消化がされていない部分になる

つまり、結末のない結末を僕は書こうとしている


哀愁や迷いなどというものは、それほど問題ではないが、十分な理由にはなる

しかし、僕は自分でわかっている

僕は、僕が書こうとしている物語の結末 描こうとしている現実に いまだに向き合うことができていない。で、僕は『最初からそのつもりだったのか?』と問われれば答えに窮すようなエンディングにしようと考えている


それが邪道であろうが、外法であろうが、それが今の僕の『想い』なのだから



『理想』という言葉を目にして、どことなく腹が立って、何か言いたい気持ちになった


『理想』といえば現実である

理想を捨てて、現実を取る

ふん!


知ったようなことを言うくらいなら、最初から『理想』なんて言葉は使わないがいい


現実が何かもわからずに、理想を引き合いに出す

そして、理想と妄想を自分がまるで子供だったり大人だったりするのと同じように使い分ける


そんな言葉の使い方をみたり聞いたりすると

ふん!

といいたくなる



『理想』も『現実』もそう、軽々しく定義できないし、『理想』がより『現実に近い実現した状態』というのは、世の中に十分な例があり、世の中はそんな成功体験の記した書籍であふれている


でも、ぼくの 目の前では 理想と現実はちがうんだ


そう、そうかもしれない

それは 理想の組み立て方が間違っているからだけど、きみはきっとそこには目を向けない

すべての努力が報われ 約束された『望んだ結果』が得られる

そんなんことはない

すべての努力が、正しい努力とは限らない

すべての努力をする人の能力が同じとは限らない


成功が理想 失敗が現実

そんな考え方で真に理想を追うことなどできやしない


理想を追わないものに 理想を口にしてほしくない


そう

口にしたのなら 思うところを理(ことわり)をもって実現すればいいのだ

思い と 理(ことわり)を成立させてこその あるべき現実である


思いを伝え 理を説く

そのことを怠ったときに、人は始めて現実に屈服するのだ


それをすでになした者が作り上げた他人の現実に
最近更新が滞って降りますのは・・・

財布おとす

PCのハードディスク壊れる

インフルエンザ

と災難続きでございまして


本調子に戻るにはもう少しかかります


まぁ、PCは復活しましたので、時間ができましたらそのあたりのネタでまた、面白おかしく・・・


ということで


ではではです