大晦日ら元旦にかけて見た夢は、僕が前の会社の上司の夢だった
僕はその人たちに『お世話になりました』と決別の挨拶をした
紆余曲折あって、僕はそれなりに過去を引きずっているのだけれども、その夢はひとつの区切りをつける、あるいは僕の中でついたという意味を持っているように思え、そう解釈することにした
翌日見た夢は、もう覚えていない。というかあまりにも雑多っで、日常がそのままという夢だった。
僕の日常。
それは前日決別した人たちとの日常が長いこと繰り返され、それが突然終わってしまったことですっかりかわってしまった。
ブログからミクシィ、そしてツイッター
小説も書き始めた
すばらしいアーチストとであった
FBでリアルにつながり、広がる人との縁
いつでも繋がっている
僕の業務は元来、毎日のように外を飛び回るような仕事ではないのだけれど、この一年、なぜかイベントがある場所と仕事で行かなければならない場所が一致している
これはまず 偶然である。同時に必然でもある。
おはようございます
偶然であり、必然とはすなわち、ネットワークが広がれば広がるほど、偶然が発生する可能性が高まるということ
これを啓蒙的な言葉に置き換えれば
『そうありたいと思うことで実現するようになる』
なのだろうか?
『そうありたい』と思うことと『そうなりたくない』ということは単純に正と負のベクトルなのだろうか?
『どうでもいい』と思うことはゼロなのであろうか?
しかし、僕はこの『どうでもいい』の中にも二種類あると思う
それは放棄なのか受容なのかの違い
不可能と思われることに対して、どうでもいい と放棄するのではなく
今はできない自分を受容し できる自分になるためにどうするか という時間軸を含めての問題に対する見方ができるかどうか
それを出発点として『そうありたい』の方向に行くのか 『そうなりたくない』という方向に背を向けるのか
もっとシンプルでいい
会いたいと思えば、いつかかならず会える
会いたいと思える人が、必ずどこかにいる
だから、会いたいと思える人に出会えるよう 外に出よう
扉を開けるのは 自分自身なんだ