記録と記憶~オリンピックをみて思うこと | 文化系寄り道倶楽部

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アラフォーで2児のパパであり、80年代の音楽をこよなく愛し、ガンプラを愛で、パソコンをいじくり倒し、台所を妻から奪い取り、キングの小説におびえ、究極超人あ~るで笑いころげ、夜な夜なUST配信をしている

ロンドンオリンピック盛り上がりましたね

僕の中では・・・かなり記憶に残るオリンピックになりました



競い合うスポーツですから結果=記録は大事です
ですが、観客にとっては世界最速や最強という称号よりも、感動的なドラマを期待し記憶したいと思うものです


逆に、思うような結果が出ないことよりも、結果を出すことにこだわって、その競技本来の精神をないがしろにしたり、或いはもっと大きな意味でフェアプレイの精神が欠如したプレイを見ると悪い意味で記憶に残り残念な気持ちになります



柔道という武道が、スポーツとして世界で認められていく中で、その本来の精神が失われているのでは? という声は昔からよく聞きますし、それに関しては日本だけでなく世界の様々な国で問題視する声も上がっていると聞きます

また、卓球が帰化した中国人の占める割合が多すぎることなど、ちがった形の問題もとりだたされています

結果を求めなければ出場する意味がありません
しかし結果だけを観たいのであれば、スポーツというのはなんとも不合理な存在です
どんなにスポーツ科学が進歩し、道具が進化し、新しい戦術や理論が生まれても

そこに流された血と汗と涙が感じられないものに どれだけの意味があるでしょうか?


そういう意味ではいろいろと考えさせられるオリンピックだったと思います


オリンピック開幕式で話題になった映画『炎のランナー』では、ユダヤ系イギリス人のハロルド・エーブラムスは民族の誇りをかけて、スコットランド人宣教師エリック・リデルは信仰のためにオリンピックに臨んだ二人を描いています。そのことを踏まえて、この映画は感動的であり、また当時の社会情勢や人々の考え方などを知る非常に優れた映画です

http://www.nicovideo.jp/watch/sm18465077




一方、現在のオリンピックでは、民族、政治、宗教などの主張をすることはIOC憲章によって禁止されています。世の中は変化し、それに対応しなければなりませんが、これはつまるところ教育の問題で、オリンピックの問題でも、政治的な問題でもありません


この世の中にはいろんな複雑なルールがありますが、ことスポーツを楽しむことに関しては、一定以上の教育が必要でしょう。より多くの人が楽しむために、ある程度の知識は身に着けなければなりません。それが一般的になったものがマナーであり、型から入る精神=精神の器なのだと僕は思います