Facebook Twitterとうでは案内したのですが、昨日『静かなる老人』という作品が完成しました。
いわゆる3.11 東日本大震災の日
僕自身が体験した帰宅難民・・・私自身はその日のうちに帰宅できたのですが、それでも世田谷の豪徳寺から品川までのみちのりは、それなりに険しいものでした
険しい といっても、それは直接的な被災地にそれとは比べ物にならない些細なものかもしれません
それもで、そこに 非日常は存在したのです
いったんマスコミによって編集されたニュースになってしまうとそれは『帰宅難民』という四文字でいい表れされ、無機質で過去の一風景のような気がしてしまいます
しかし、あの日確かに東京の街中に非日常は存在していた
そして、その非日常は直接的な被害にあった、いわゆる『被災地』と地続きになっていたのです
この物語は、その意味では3.11をそれぞれの立場において、思い出すための装置となってくれればそれはそれでいいと思っています。しかし、一方でもっと内面的な部分――価値観が変わるような事態に見舞われ、人はどう変わっていくのか、変われるのか、何が変わらずに残るのか?といったことを問いかけています
問いかけて、そしてこれは僕の意見なのです
決して何かを結論付けていたり、言い切ったりはしていないのですが、しかし、この物語はやはり僕の意見なのです。僕はこの作品を通して何か意見を語っています。主張するでもなく、同意を求めるでもなく、意見を求めるでもなく、僕は語っています
僕が語っていること、語っている内容よりも、「僕が語っている」という、そのことが伝われば、それで僕はいいような気がしています。なぜならこの作品を書いた僕は、すでにここにはいません。
僕はこの物語を書いたことで、書く前の自分から、書いた後の自分に変わりました。僕は僕がこの物語を書いたという事実にとても大きな意味を感じています。
そういう作品です
『静かなる老人』
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