と、言った話が、昨今横行しております
横行といえば、今回判決が出た大阪の交通事故
死者2名を出す痛ましい事故ですが、それはほんの些細な「横暴」が横行し、まさに横に行ってしまった結果なのですが・・・
危険を回避しようとした車、さらにそれをよけようとした大型車両が歩道に突っ込み悲惨な事故になりました。
スピードや運転テクニック、その他いろいろ運転手に過失がなかったか、調査が進み結果的に最初にその「危険」を作った「原因」に罪ありと、判決が下ったそうです
いや、このあたりの事実確認は、それぞれでお願いします。その事実はともかく報道によると、実刑判決を受けたその「原因」の言い分は「俺が悪いんですか。向こうは車で殺したんですよ」
さて、あえて「原因」の立場に立って物事を見てみよう
彼は普段からその行為を繰り返していた
自分の腕に自信があったのか、ともかく自分は大丈夫だと思ったからそれを繰り返してきた
彼に罪の意識は「そもそも」ない
しかし、「そもそも」は違法な道路の横断であり、それは社会のルールである
彼は思う。ルールは自分を守ってくれる。社会は自分を守ってくれる。歩行者は走る凶器である車からルールによって守られている。
そして、それは、たぶん、間違いではない
が、まったく正しくはない
「俺は悪くない」という主張の裏には、いつもどおりルールを破り、いつもどおり周りが同じ反応をしてくれれば、いつもどおりなにも起きなかったはず
なのに
なぜ、あのバンは過剰に反応しハンドルを切ったのか
そして、そこにタンクローリーが反応し更にハンドルを切ったのか
そして、なぜ、そこに人がいたのか
そしてなぜ跳ね飛ばされずに壁に押しつぶされたかの
ここで、簡単にそれぞれのドライバーの立場、歩行者の立場に身をおいて物事を考えることができるのなら「そもそも」この事故は・・・いや、殺傷に至る行為はなされなかっただろう
これは過失による事故ではなく、横暴な行為による人の命を奪う行為だと、司法は訴えている
「俺が悪いんですか。向こうは車で殺したんですよ」
この言葉は、こう言い換えられるべきだ
「なぜ守られるべき法によって私が責められる。私は殺させただけなのに」
ああ
開いた口が塞がらない
想像力の欠如が悲劇を生むのか、無責任さが想像力を奪うのか
いずれにしても、自分の存在の「悪」の部分を認めながら生きられる人とそうでない人の間には、「想像もつかないほどの大きな溝」が存在する
そして、同時に、その人は「悪」と対立する「善」も自分の中にあるということを見失っているのだろう
想像力の欠如した世界
なんとも「さもしい」
「さもしい」とは「様(さま)悪(あ)し」が「さまわし」「さまうし」を経て「さもし」へと転じた語らしいです