加藤和彦さんの遺書にあった、非常に、重い、言葉だと思います
泉谷しげるがフォークの世界から外に出たとき、フォークファンから総スカンを食らったという話を聞いたことがあります。
それだけファンは音楽に熱くなり、アーチストも真摯にそれに向き合っていたのではないでしょうか
今のアーチストと音楽を聴く人間(ここではそれをリスナーとは言わない)との間に、何か大きな溝、或いは壁、或いは介入者が存在し、みな、絶望と妥協と懐疑の土台の上で行儀よく音楽ごっこをやっている。。。作り手は心を偽り、聞き手は心を閉ざす。。。いや、そんなに絶望的な状況ではないはずだ、そうであって欲しい
飽食
視覚的な刺激に満ちた現代においては、音楽に耳をすませることをしない
かつてラジオの前で、歌っているアーチストの顔もわからずに、どんな人が歌っているのかを想像しながら音楽を聴いていた時代には、もう戻れない
多すぎる情報を処理するためには、処理を簡略化しないといけない
結果的に世の中は「音楽だけ」を必要と、していない、という状況になっているのは確かだと思う
すべてを得ることが幸せとは限らない。。。映像が音楽に対する価値を上げることは大いにあるが、度を越えると、音楽の本質的なよさを失わせることになる。。。かつてMTVが台頭した80年代にそんな議論があったのを思い出しました。
ワタシは思う。自分はノスタルジーに浸って、「あの頃の音楽はよかった」とすっかり老け込んでしまった。。。そうじゃない、残念ながら。
音楽は確実にその力(或いは輝き)を失いつつある。誰もいい音楽や素敵な音楽を望まないのであれば、そんなものは作られることはない。聞き手はもっと貪欲になるべきだったのだ。
これ以上、大切なものを失わないためにも