「うーん、どうしたものなのか……」
「何を悩んでるの? かばんちゃんの正体?」
「違うわ!」
「食べないでください!」
「それ以上けものフレンズのネタを振るなら、覚悟することね」
「そんなに怒らんでも……。で、実際何を悩んでたの?」
「いや、『怪談狩り』の感想について、ちょっとね」
「何か嫌な意見でもあったっけ?
本の感想はひとそれぞれなんだから、仕方ないと思うけど」
「そうじゃなくてね。
新刊が出る度に、『このネタ、もう知ってる』って言う人がいるじゃない。
知ってるってことは、別のメディアで中山市朗の語りを見た、聞いたってことだから、ありがたいと言えばありがたいんだけど……どうしたらそのガッカリ感をなくせるのかなぁ、と」
「なーんだ、そんなことかぁ」
「そんなことって、ちょっと」
「その意見に関してはね、私も昔考えたことがあるんだよ。
そして個人的な結論と、解決方法は既に出ているのさ!」
「ホントにー? いつもみたいにいい加減なこと言ってるんじゃないの?」
「そんなこと無いって! 結構真面目に考えたもん!
なんたって、私も同じ意見を持った一人だからね!」
「あんたもかい!」
「……何年、怪談を聞き続けてると思ってるのさ」
「ゴメン。私が悪かったわ」
「うむ、よろしい。さて本題だけども。
あの『このネタ、もう知ってる』というガッカリ感がなぜ起きるか、から説明するね」
「説明って……知ってるから、ってことでしょ?」
「それってつまり、『ネタバレされてるから、読んだけど楽しめなかった』ってことでしょ。
同じようなことって、他の作品でもあるわけじゃん?」
「うん。映画、アニメ、漫画、ゲーム……怪談もだけど、とにかくネタバレは最悪だわ。
先にオチを知っちゃった時のショックはねぇ……」
「でも私の考えとしては、『このネタ、もう知ってる』ってなっちゃう人は、楽しむ順番を間違えちゃった人だと思うわけさ!」
「ん? どういうこと? 楽しむ順番?」
「そう。例えばね……怪談に近い、話芸の代表、落語を例としましょうか。
何でもいいんだけど、落語のネタのタイトルを検索すれば、登場人物のセリフからオチまで、ネットに全部上がってるでしょ?」
「うん。枕もついてたり、それぞれの噺家さんによるバージョン違いも上がってるね。
落語の本でも、ちゃんと最後までオチが書いてあるし」
「でもそうやって文字で落語を読むのと、実際に寄席に行って落語を見聞きするのとじゃあ、どっちが面白い?」
「そりゃあ……もちろん実際に演じてるのを見る方が面白いでしょ」
「そう。実際に噺家さんが演じている落語は、身ぶり手ぶりの面白さもあって、文字でネタを読むだけより遥かに面白いわけよ。たとえ先にオチを知ってる状態……ネタバレ状態でもね。
ところが、これが逆だと難しくなるわけよ。
先に噺家さんの生の落語を見聞きして、その後で、ネタの文章を読んじゃうと、面白さはぐーんと下がっちゃう。そこには身ぶり手ぶりも無い。ただ淡々と文字があるだけ。
そりゃあ『このネタ、知ってる』っていう感じにもなるよ。
そして、これは他の創作物にも当てはまると、私は思うの」
「なるほど、そういうことね」
「怪談でも、先にライブでネタを聞いちゃうと、そっちの方が面白いに決まってるわけ。
会場の雰囲気とか、語り手の話術とか、たくさん要素はあるし。
だから後から発売される本に、そのネタが書かれていても楽しめない。改めてそのネタを読んでも、『へぇ~……』って思っちゃうぐらいじゃない?」
「さっき言ってた順番っていうのは、『先に本で読む』⇒『次にライブで聞く』ってことね」
「その通り。同じ内容を体験するなら、先に面白レベルが下のものからにした方が良い!
実際、アニメやゲームでも、視聴・プレイした後に解説・攻略本を読めば楽しめるけど、解説・攻略本を読んでからじゃあ面白さ半減どころじゃないでしょ?」
「下っていう言い方はアレだけど、うん、意外と納得はできたわ」
「ただこの説を『怪談狩り』に適用するには、ちょっと条件があってね。
中山市朗怪談未体験の人に限られちゃう」
「はい?」
「なぜなら、作者が新刊発表よりも先にライブで新作ネタを披露しちゃうと、お客さん達は問答無用で先により面白い方を体験しちゃうでしょ!?
そして本人は、新作ネタを語りで聞かせて反応を見てから著作に書くこともあるじゃん!?
今のファンの人たちは慣れてくれてるけど、新しい人達は、ねぇ!?」
「……どうすりゃいいのよ」
「まぁ、結局のところ、怪談が好きな人はどっちが先でも楽しめるから大丈夫!
そうでない人は……災難だと諦めるしか」
「アンタはプレデターか」
「4月は、東京・大阪でダークナイトが3連続! 来てね!」
「このタイミングで言うの!?」