昨日の旦那
夜のうちにお掃除を終わらせて
時間があったのか
庭の木が邪魔だから切ろう
と言い出し
丸坊主になってしまったキウイの木
今年、枝が伸びてくれるのだろうか?
切るだけ切って
まとめるのは手伝うわけではなく
颯爽と遊びに出かけて行った
たぶん、スノーボードだな
そして19:00頃に
酒とつまみを買ってきて
テレビの前を占拠
若いラブもの見てるよ
昔は面白くないって
全然見なかったのに
恋愛のお勉強なんだか
気持ち悪くて一緒になんか見たくない
私はもともと恋愛もの好きだけど
旦那とはごめんだね
だって
そういうの見て
実際に彼女と実行してるの知ってますから
あ~ラブラブなんだね
ヒロインとヒーローになりきってらっしゃる
父の話の続き
三陸に住んでいる父の親族
父は少し山の方にある施設に入っていました
昭和の大津波の影響で
立派な堤防が建ち
私と姉は夏休みに遊びに行くと
防波堤の上を散歩したり
楽しんでいたのを
思い出します
地震の時
私は以前の職場で働いていて
ちょうど検温の時間でした
素早く検温を終わらせて
患者さんたちを
駐車場に避難させました
建物被害はなかったけど
電気が止まってしまい
3月11日と真冬の中
とても寒かったことを覚えています
その日は日当直だったので
旦那にガスコンロを届けてもらい
暖をとったのでした
次の夜
釜石の退院した患者さんがみんなにご馳走してくれるというので集まる予定でしたが
それどころではなくなり
安否確認のため連絡してみましたが
つながらず
実際、沿岸で何が起こっているのか
全く分からず
情報が入ってきたのは
数日後の事でした
私の実家に行って
ガスストーブを借りて
風呂にも入れず
リビングでみんなで寝ました
さすがの旦那も
この時は家にいて
久々に家族って感じでしたけど
大津波があって大変なことになっているとわかり
死亡者欄を見たり
問い合わせしてみたり
死亡者欄で分かった事は
父の弟やおじさんが亡くなったこと
早くかけつけたい思いと
復興が妨げられるから
出入りしないで欲しいという政府の要請に
やきもきしながら
父の地元に行けたのは、1ヶ月後でした
懐かしい父の実家は
見る影もなく
家具屋や流れ着いた物が積み重なり
家には
救助済みのサインなのか
赤いペンキで
○や×がついていました
家の中の色んな物があちらこちらに山積みになり
地獄のようでした
ほこりもかなり舞っていて
息苦しさを覚えました
写真を撮る気にもなりませんでした
一緒に行った旦那も
娘も唖然としていました
旦那の後輩が近くに住んでいたので
頼まれていた物を届けて
私たちは
父の施設に向かいました
父は無事で
施設の方も大丈夫都の事でした
父の面倒をみてくれていた弟が亡くなったことで
施設の方から
妹さんがいるから
連絡を取ってくれないかと
言われました
後日、姉と訪ねた時に
父の妹一家とから関わりを持つことになるのですが
ここからが私にとっての
新たな苦悩の日々の始まりとなるのでした