今年のお正月に駅伝を見ながら室内を走っていたら、一日13,000歩を三日続けて記録した。

 

そこで、心機一転・・・

 

「 去年までは一日10,000歩だったけど、今年は一日13,000歩で行こう・・・ひらめき電球

 

・・・そう決心し、早速ひと月間そのペースでやってみたところ・・・

 

・・・月末には、右膝が痛くなってしまったあせる

 

これは、どういう事かというと・・・

 

要するに・・・“や・り・過・ぎ”・・・なのである。





 

新年の新たな誓いは、心が掲げるモノである。

 

しかし、それに身体がついて来られるかどうかは・・・全くの別問題⤵

 

痛くなったり、何かしらの違和感が出て来るというのは・・・身体が何らかの“サイン”を出している・・・という事なのだ。

 

 

 

 

 

飲酒を、“不幸の一時停止”と言った人がいたが、つくづくうまい事を言うものだと思った。

 

アルコールには、悲しい出来事をぼやけさせ、いっ時それを忘れさせてくれる効用がある。

 

しかし、現実は・・・何も変わってはいないのだ。

 

過度の飲酒は、身体の悲鳴(反応)をもぼやけさせる。

 

確かに、いっ時はフワフワして少々幸せな気分になるかもしれないが、身体の方にはズドーンと・・・後からイロイロな症状が出て来たりするのである(^_^;)

 

 

 

 

 

そういった身体のサインに気付かないふりをしていると、必ずどこかに弊害が出てくる。

 

よって、何事においても、常々・・・身体と上手く交信出来る様にしておきたい・・・

 

そう思うのである。

 

 


 

 

身体の出すサインに気付くのは心であるが、心の出すサインに気付くのもまた身体・・・

 

・・・そう言い換えることも出来る。

 

悩み事があって夜よく眠れないと、その翌日は一日頭が重かったりして冴えない一日となる。

 

身体の方が・・・

 

 

 

 

「ちょっと、こういうのは勘弁しちくりぃ~~~あせる

 

 

 

 

・・・と、心に伝達しているのである。




 

先日、EXITの片割れが、、、

 

 

 

 

「深く考えたらオシマイw」

 

 

 

 

、、、そうTVで言っていたが、なんだか妙に納得して声を出して笑ってしまった。

 

何も考えないのも困るが、深く考え過ぎるのはもっと困る。

 

確かに今のこの時代に起こっている様々な事柄を深く考えてしまったら、もうそこで・・・“オシマイ”・・・となりかねない。

 

深い思考の暗闇の中から、抜け出て来れなくなってしまう。

 

 

 

 

私は、以前習っていたカルチャーの講師(♂)から・・・

 

 

 

 

「君は食べる事しか頭に無いのか・・・あせるあせる(-_-;)」

 

 

 

 

・・・ そう非難(!?)された事があったが、今の自分の状況を総合的に考えると、その日食べるご飯の事を考えるだけで幸せになれる・・・そんな短絡的な思考回路を持つ野人であって本当に良かった・・・キラキラキラキラキラキラ

 

・・・つくづくそう思うのである。

 

野人(原始人)の一番の関心事は、その人のご飯(獲物)である。

 

野生動物もまた然りだ。

 

獲物を捕って腹を満たせば、後は何も考えずゆったりゆっくりとしている。

 

“今を生きる”とは、 最も単純化して極論してしまえば・・・そういう事なのではなかろうか。

 

 

 

 

だから私は、今日もニコニコ狩りに行く。

 

余計な事は考えない。

 

ただ一個の生き物として、本能のままに生き延びる事だけ考える。

 

 

 

 

「獲物で身体が満たされれば、それで幸せ」

 

 

 

 

これぞ、野人の生きる基本的な指針なのである。





獲物は、本当は誰かと食べた方が旨いとか・・・


獲物で腹を満たした後は、誰かとお喋りしたいとか・・・





・・・何も考えない。





考えたら、オ・シ・マ・イ。





 

身体の弱味を心が“気付き”でフォローし、心の弱さを身体が“反応”で受け止める。

 

そんな相互作用によって、私は生きている。

 

膀胱癌に罹患した頃は、身体と心・・・その両方がお互い悪い方に引っ張り合っていた。

 

 

 

 

サイン。




 

それに気付けなくなったその時が、私の最期の時・・・




 

今、そう思っている。

 

 

 

 

ではではまたまた・・・

 

生きとし生けるものが幸せでありますように🍀