ある日、スーパーに行く歩道のない道路を歩いていると、身なりの構わないよたよた歩く寂しげなお婆さんとすれ違ったので、「おはようございます」と声をかけると、お婆さんは驚いたようで、立ち止まって私を見た。知り合いだと思ったのか、それとも知らない人から挨拶されたのでただびっくりしたのか。

「お散歩ですか」と尋ねると、スーパーの前のベンチに座りに行くと言う。「私はいつも、あのベンチに座っているよ」とお婆さんは指で場所を示した。「そうなんだ」と相槌をうつと、嬉しそうに話をしだした。

 職業病なのか、私は人の話を聞くのが好きだ。長年、有名人ではなく普通の人たちを取材してきた経験から言うと「私なんか、ただの主婦だから」とか「特別なことをしてないから」という人に限って何か持っている。

 本人に自覚がないようだが、自分を普通だと思っている人の人生ほど、奥深くて学ぶことも多い。それは、話してみないとわからないことで、外見からはうかがい知ることができないものなのであるからこそ、面白い。私がこれまで物書きとしてやってこられたのは、普通だと思っている人の話を聞くことが好きだったからかもしれない。

 頑固そうなその婆さんを私は「ひとり暮らしだ」と刑事のように推測した。そこで、個人情報とは知りつつも「おひとりですか」と聞いてみた。すると、お婆さんの顔は頑固から柔和に変わり、自分のことを話し出したのだ。

 なんでも近所でタバコ屋を長年やっていたが、数年前に店をたたみ、息子が建てた家に現在は同居しているという。決めつけるのが私の悪い癖だが、てっきりひとり暮らしだと思っていたので、「じゃあ、寂しくないですね」と言うと、お婆さんは血相を変えて「あんた、何言っているんだよ。今の方が寂しいよ。息子の言いなりになるんじゃなかったと後悔してるよ。今はさ、なんもやることないし。家ではさ、邪魔者扱いさ。だから、毎朝、家を出て外にいるんだよ」

「毎朝なの?」と聞き返すと、お婆さんは大きく頷いた。そして、息子はいてもいないのと同じだと語気を強めた。「お茶でも飲んで話したいね」と言われたが、私も急いでいたので、「また会ったときに」と歩きだそうとすると、驚いたことに持っていた手提げの中から、100万円の束を出して私に見せたのだ。100万円ですよ。

 舌切り雀の世界か? 頭が混乱した。親切に話を聞いてくれたお礼に、私にあげるというのか? もしかして、このお婆さんは大金持ち? 神様が人間を試すためにお婆さんの恰好をしているのか? それともただの自慢屋なのか?

 わからなくなったので、私は足早に現場を去った。いろいろな人がいるから世の中は面白いのですね。