シングルライフは自分らしい生き方だと自信満々だったが、明るいひとり老後に陰りが出始めたのには、自分でも驚きだった。人生は予定通りには進まないものだ。

 2004年に父が他界し、その後18年、ひとり暮らしを満喫していた母も去年、97歳の誕生日の1週間前に亡くなった。

 母は頭もしっかりしていて、すこぶる元気だったので100歳は軽いと誰もが思っていた矢先の出来事だった。

 いつか両親がいなくなる日が来ることはわかっていたつもりだが、実際に両親がいなくなると、なんとも言えない孤独感に襲われた。「老後ひとりぼっち」というひとりの人の背中を押す作者である私がこんなに精神が弱弱しくなるとは・・

 ひとりを強く生きて来られたのも両親の存在あってからこそだったのだ。自分の力だけではなかったのだ。どんな両親であれ、親は存在しているだけで力なのである。大きな後ろ盾があったからこそ、ひとりを自由に生きて来られたのだと気づいたが、時すでに遅し。

 1998年にSSSネットワークを立ち上げた50歳の時に、ウイメンズプラザホールで、会場に集まった200名のおひとりさまを前に、気炎をはいたものだ。私は若くて元気だった。

「シングル女性の皆さん、今はいい気なものですが、いずれ、あなたもハッチ、わたしもハッチ、みんな、みなしごハッチになるのよ!!」会場がわっとわいた。受けたのだ。私もいい気になり、「ハッチ、ハッチ、みなしごハッチはあなたのことよ」とお笑い芸人のごとく畳みかけて笑わせた。

 当時は両親もまだ若く健在だったし、独身の弟もいたので、みなしごハッチは自分のことだという意識がまったくなかった。あれから25年が経過し、50歳の私は75歳になり、両親は他界し、弟は結婚し別家族となり、自分の家族を持たなかった私は、ひとりぼっちになった。

「ああ、なんてこった。みなしごハッチとは、可哀そうな孤児のことではなく、両親を失ったひとり身の私のことだったのではないか。ああ、私はいままで何をしていたのだろうか。」

 いつも前向きに生きてきた私は本当の私ではなかったのか?

 突然、雨風が吹き荒れる嵐の中にひとり立ちつくしている自分の姿がはっきりと浮かんできた。まあ、可哀そう、つかまる木もないわ。でも、負けてはいられません。人はひとり、結婚していても子供がいても、いずれはひとりになる。老いて子供から捨てられてひとりにさせられるよりも、最初からひとりの方がいいかもしれない。まあ、どっちに転げても同じね。人と比較しないことね。私は、ひとり女性のために、みなしごハッチの旗を振り続けるわ。