1974年の浅田美代子さん主演映画「あした輝く」が放送されます。
衛星劇場
8月1日(木) 8:30
8月11日(日) 11:00
8月20日(火) 12:05
当時、映画館で観ました。
「あした輝く」は、下記で紹介しています。
1974年の浅田美代子さん主演映画「あした輝く」が放送されます。
衛星劇場
8月1日(木) 8:30
8月11日(日) 11:00
8月20日(火) 12:05
当時、映画館で観ました。
「あした輝く」は、下記で紹介しています。
浅田美代子さんと桜田淳子さんのデビュー当時の1973年の近代映画から紹介します。
『本誌独占立体リポート 桜田淳子・浅田美代子 ワイド調査』と題してです。
幼稚園、小学校、中学校の時の浅田美代子さん、桜田淳子さんを調査しています。
浅田美代子さん、桜田淳子さんの2人、結構、似ていましすね。
(1)
ここでは、浅田美代子さんの立体調査を紹介します。
(2)
桜田淳子さんの立体調査は、下記で紹介しています。
浅田美代子さんの幼稚園の先生の話によると
入った時は、お人形のように可愛く、おとなしい子でした。
毎日のように洋服をかえ、いつもきちんとしたかっこうしていました。
次第になれて、活発になり、男の子たちは、彼女にあこがれていたので
みよちゃんには、さからえなかったそうです。
音楽とお絵描きが好きでした。
そして区立南山小学校に入学しました。
先生の話によると
頭の回転がよく、喜怒哀楽のわりとはげしい子でした。
明るく可愛い子でした。
自分が正しいと思うことは、どんなに抵抗があっても貫こうとしていました。
学級会でハッスルして自分の意見を言い、なかなか理解してもらえないと、涙を浮かべて訴えていたとか。
ただ、いつもニコニコしているだけでなく、こうと思ったら、後へは引かぬシンの強い一面も芽ばえはじめていたわけです。
成績も良かったので東京女学館中等部に合格したのは、ミヨちゃんと別のクラスの子2人だけだったそうです。
フジテレビの「小川宏ショー」にクラス全員で、出演した時があったが、ミヨちゃんだけは、リラックスしていました。
東京女学館中等部では、男の子にモテモテで、文化祭で、学校に美代子さん目当てで、
押しかけることも。また、家の前にプレゼントも、、
東京女学館中等部の校則は、厳しく、髪の毛のカールが禁止でしたが、何人かその校則をやぶり
カールして学校に行き、注意されたが、美代子さんだけは、それでもカールして登校したとか、、
また、悩んでいる友達へ手紙を送り、気遣いもありました。
つまり、強情なところもあるが、思いやりも持っていました。
浅田美代子さんの
デビュー50周年を記念して、5月15日(水)より
スタジオ録音アルバム6枚、ライヴ録音アルバム2枚が全世界配信スタートしました。
moraでは、ダウンロード購入もできます。
私は、CDを持っていないアルバムは、ダウンロード購入します。
[配信アルバム]
赤い風船(1973年5月21日発売)
美代子のおくりもの ひとりっ子甘えっ子/赤い風船(1973年9月1日発売)
オリジナルファーストアルバム わたしの宵待草(1973年12月21日発売)
しあわせの一番星/恋は真珠いろ(1974年5月1日発売)
美代子の新しい世界(1974年9月1日発売)
第一回リサイタル ライブ(1974年12月10日発売)ライブ盤
この胸に この髪に(1975年12月5日発売)
美代子のページ(1976年2月25日発売)ライブ盤
4月15日(月)19:00~21:50 ニッポン放送
『清水ミチコ のミッチャン・インポッシブル2024 春らんまん 東京ウキウキ大作戦』
ゲスト:浅田美代子
20時から21時に浅田美代子さんが出演しました。
幼少期から青春時代の東京の移り変わり
1970年代の芸能界の事(時間ですよなど)
を語っていました。
radikoのタイムフリーで聴けます。
1月22日発売の週刊ポスト2月2日号に
”浅田美代子愛される力”のインタビュー記事
(明るく気取らない人柄で今も昔も可愛い元祖国民的アイドルと紹介)で
なんと巻頭5ページのわたってカラーで特集
デビュー時の写真、水着写真、寺内貫太郎一家での写真など満載です。
浅田美代子さんのインタビューも載っています。
即買いしました。
#浅田美代子 さんのインタビュー答え 抜粋です。
他にもインタビュー載っているので、、
・歌の下手のイメージについて
→”人前やカメラで緊張しただけ。小学校の音楽の成績は良かった”
・1975年の初の水着について
→”やるしかないと思った。水着は自前”
・寺内貫太郎一家での西城秀樹さん
→"明日も歌番組いっしょだねと優しく声をかけてくれました。”