小説とか漫画とかで、時間が巻き戻っちゃうっていう現象があったりするよね。


タイムスリップっていうのかな。


例えば、北村薫さんの小説「ターン」。


主人公は駆け出しの版画家。29歳の真希は、ある日の夏の午後にダンプカーと衝突しちゃう。


でも、気がついちゃうと、自宅の家の、いつもの座椅子で、まどろみから目覚めちゃう。


3時15分。


いつも通りの家の様子、いつも通りの外の景色。


そして、どんな一日を過ごしても、定刻がくると一日前の座椅子に戻ってしまう。


そうして真希は、同じ一日を繰り返す、不可解な世界に閉じ込められちゃう。


毎日、毎日、同じ時間がやってきて、同じ日付の一日が繰り返されちゃう。


そうして、真希が苦悩していると……、っていう感じの作品。


タイムスリップっていうのか、タイムリープっていうのか。この場合は、タイムループって言ったほうがいいのかな。


まあ、他にも時間がループしちゃう作品はたくさんあったりしちゃうけど、実際に、時間をループさせちゃう能力を持っている人はいないんじゃないかな。


そう、現実にタイムスリップできちゃう人。


95は知っていたりしちゃう。


そう、百人以上の知的障害者の方々の支援をしてきた95は、そんな特殊能力を持っている人を知っている。


知的障害者の人たちの中には、すごい能力を持っている人がいたりしちゃうからね。


このブログでも紹介しちゃったけど、ある人は、見えないものが見える能力を持っていたりしちゃうし、ある人は、カレンダーのすべての暦を暗記しちゃってて、何年何月何日が何曜日であるかを答えることができちゃう。


そんな特殊能力を持った人たちがいちゃうんだから、それはまあ、タイムスリップ、いや、タイムループしちゃう能力を持っている人がいたりしても不思議じゃない。


犬井さんは、知的障害者さんの入所施設で暮らしちゃってる、五十代の男性。





知的レベルは最重度で、ほとんどの会話は通じない。お風呂、歯磨き、ご飯、なんていう生活に密接した単語は、なんとか理解できちゃうみたい。


もちろん、文章を流暢に話すってことはなくて、発語ができても「おしっこ」とか「しごと」とかのような、単語程度なら口にできちゃう。


犬井さん、普段はまあ、パッ、パッ、パッ、って感じで、口で空気を破裂させるような音を出していることが多かったりしちゃう。


それから、まあ、犬井さんは重度の自閉症を抱えていたりしちゃう。


常同行動の一つかな。


手のひらやハンカチなんかを、目の前でひらひらと揺らしちゃうことが好きみたい。


気分がいいときには、一時間でも二時間でも、自分の手首を動かしながら、自分の手のひらをじっと眺めていちゃう。


そんな犬井さん、先ほども紹介しちゃったようなタイムループという特殊能力を持っていたりしちゃう。


ということで、まずは犬井さんの一日の様子を紹介しちゃう。


朝、起床時間になると、95は「おはよう」なんて挨拶をしながら、犬井さんの起床を確認しちゃう。


犬井さん、ゆっくりと布団から出てきて、「おはよう」なんて返事をしてくれちゃう。


95は「それじゃあ、パジャマを着替えておいてくださいよ」なんて言いながら、犬井さんの部屋を出ていく。


犬井さんは基本的に、日常生活動作は何でもできちゃう。だから、まあ、服も自分で着替えることができる。


しばらく時間をおいて、95が部屋に戻っていくと、犬井さん、ふたたび布団をかぶって眠っちゃってる。


「犬井さん、おはよう」


95が言うと、犬井さんは再び「おはよう」と言って、布団から出てきちゃう


95は再び「服を着替えておいてくださいよ」なんて言いながら、部屋を出ていく。


ふたたび時間をおいて戻ってくると、犬井さん、またまた布団をかぶって眠っちゃってる。


「早く、起きなさいよ」ということで、95は犬井さんを起こしちゃって、きちんと着替えをおこなうまで見守っちゃう。


犬井さん、じっくりと時間をかけながら、パジャマを脱いで普段着に着替えてくれちゃう。キュッとベルトを締めちゃったら、着替えが終了。


はい、それじゃあ、ということで、95は他の利用者さんの対応に回っちゃう。


しばらくして犬井さんの部屋にやってくると、犬井さん、普段着を脱いじゃって、パジャマに戻っていたりしちゃう。


「あのねえ……」なんて思いながら、95は再び、犬井さんの更衣を見守っちゃう。


そして、ベルトをキュッと締めたところを確認して、部屋から出ていっちゃう。


そんなことをしているうちに、朝ごはんの時間になっちゃってる。


犬井さん、食堂に行きましょう。なんて言いながら、95は他の利用者さんの対応に回る。戻ってくると、ふたたびパジャマ姿の犬井さんがいちゃう。


なんで、元に戻っちゃうのよ。


なんとか更衣をすませて、95は犬井さんと食堂に向かっちゃう。


犬井さんの歩行は、非常にゆっくりだったりしちゃう。


二歩、前進したかと思うと、一歩、後ろに戻っちゃう。三歩、進んだかと思うと、いっきに十メートルぐらい元に戻っちゃうことがあったり、うん、なかなか前に進めない。


これもまた、自閉症のこだわりみたいなものがあるのかな。


視界に入ってくるものが気になるのか、自分の歩き方に拘りがあるのか、はっきりとした原因は分からないんだけど、犬井さんは、そう、一進一退を繰り返しながら、食堂までの道を歩いていく。


そして食堂にやってくると、水道で手を洗っちゃう。そこでまた、格闘が繰り返されちゃう。


蛇口をひねって、とめて、ひねって、とめて、それを何度も繰り返してから、ようやく、手を洗っちゃう。


「早う、手を洗いなさいよ」なんていう声かけは厳禁。


そんなことを言っちゃったら、犬井さん、何かのスイッチが入っちゃったかのように食堂から出ていっちゃって、しかも、今までの歩いてきた手順を巻き戻すみたいに、後ろ向きで部屋まで戻っていっちゃう。


そして、ふりだしに戻るっていう感じで、ふたたび、二歩、前進したかと思うと、一歩、後ろに戻っちゃうっていう歩き方で、一から食堂に向かって歩きだしちゃう。


そして、ようやくテーブルについちゃうと、犬井さん、じっくりと料理を眺めちゃう。


御膳から箸を手に取ると、目の前でひらひらとさせてから、また、御膳に箸を戻しちゃう。


そんな動作を何度か繰り返しちゃってから、ようやく箸でご飯をすくってくれちゃう。


そして、口に運ぶ。


そこで、動作がとまっちゃう。


ご飯は食べずに、また、茶碗に戻すみたい。


箸でご飯をすくい、口の前に持ってきて、茶碗に戻す。


うん、何の意味があるのか分からないんだけど、一連の動作を何度も繰り返しちゃって、ようやく納得できたら、ご飯を食べ始めるみたい。


ここで、「早う、ご飯、食べなさい」なんて言っちゃうと、犬井さん、今までの行動の流れが狂っちゃうのか、ご機嫌が斜めになっちゃうのか、すくっと立ち上がっちゃって、バックステップで食堂から出ていこうとしちゃう。


ふりだしに戻る。


ということで、まあ、犬井さんのペースで食事をしてもらうしか方法はなかったりしちゃう。


そして、ようやくご飯を食べ終わっちゃう頃には、すでに活動の時間が始まっちゃってる。


そう、犬井さんは、遅刻の常習犯。


それでも、「犬井さん、早く活動に来てくださいよ」なんて言っちゃったりすると、ようやく食堂から活動場所まで移動しようとしていた犬井さんは、バックステップで食堂まで戻っていっちゃう。


そして、食堂の洗い場に置いている食器や箸を引っぱりだしちゃって、即席の朝食セットをこしらえちゃって、ふたたび、自分のテーブルに戻っていっちゃう。


うん、ふたたび、食器を片付ける作業をやり直すみたい。


そんなことを繰り返しちゃってると、活動に参加できた頃には、もうすぐ、お昼ご飯の時間です、っていう状態になっちゃうこともある。


そして再び、犬井さんは食堂に向かって歩いていく。


うーん、タイムループ。


朝、目が覚めて、布団から出たと思っていたら、ふたたび、布団の中で眠っている、犬井さん。


パジャマから普段着に着替え、顔を洗ってすっきりとしたと思っていたら、ふたたびパジャマ姿になっている、犬井さん。


食事を終えて、活動場所に移動しようと思っていたら、ふたたび食堂のテーブル席に座っている、犬井さん。


ご飯を食べる、食べない、食べる、食べないを繰り返す、犬井さん。


うん、タイムループだねえ。


毎日、同じ場面を何度も見せてくれちゃう、犬井さん。


これは、まさに、タイムループ。


もう少し正確にいうと、自己演出型のタイムループ。


まあ、同じ動作を何度も繰り返しているだけなんだけどね。


それでも、気に入らないことがあったら、時間を巻き戻すかのように、前の状態まで戻って、一連の動作をやりなおしちゃう。


だから、まあ、犬井さんには、タイムループの特殊能力が身についちゃってるっていってもいいのかもしれない。


犬井さんとしては、そんな生活を楽しんじゃってるような感じがするんで、それはそれでいいのかもしれない。


でも、まあ、そんなタイムループの能力が、ちょっとした事件を起こしてくれちゃうんだけど、それはまた、次回に紹介しちゃう。


ということで、タイムスリップできるとしたら、何がしたいって質問をしてみちゃう。


うーん、95だったら、二度寝かな。