ランボルギーニ・イオタ。
スーパーカーブーム世代の私、
当時は”カウンタック”しか目に
入っておりませんでしたが、年齢
を重ねるごとに、このイオタに
魅了されています。
て特集をしていましたが、私なり
に記念として、このブログにも
残す事と勝手にしました。
のテストトライバーだったボブ・ウォレス
が、ミウラのプロトタイプの刺激的な
走りを追い求めて作ったワンオフの
スペシャルモデルです。
FIAの「国際スポーツ法典附則J項
(Appendix J)」のレギュレーションに
準拠して作られたことから、Jotaと
呼ばれます。
ただし、イタリア語でJは使わない
ので、ギリシャ文字のIに当たるイオタ
と発音されました。
ミウラを改良するための試作モデルで
あり、開発チームはレースへの参加を
フェルッチオ・ランボルギーニに提案
するが、資金的な問題から断念せざ
るを得なかったのです。
しかし、改良の必要性はチーフ
エンジニアのパオロ・スタンツァーニも
理解しており、通常業務以外の時間で
あればという条件で、ウォレスに製作
を許可しました。
軽量化を第一のテーマに、1969年
11月から製作が始まりました。
ルーフはミウラのものを使用するが、
それ以外はまったくの別設計で、
まっさらの状態から作られました。
シャシーはミウラと同じパネル溶接の
センターセクションを持つが、強度を
高めるためにクロームモリブデン製を
使用。
ミウラよりもサイドシルは太く、逆に
センタートンネルは細い。
これは、サイドシル内に燃料タンク
を配したため。フロントにも燃料タンクは
あるが小さく、何よりもガソリン満タンの
ときと減ったときのフロントの重量変化
をできるだけ抑えるというアイデアが
活かされています。
アルミボード製のフロアや前後の
バルクヘッドなどによる高剛性シャシー
に、前後カウル、ドアなど、ミウラ同様に
アルミニウムの叩き出しボディが組ま
れました。
このボディパネルは軽量化のために、
ミウラよりもさらに薄いもので、フロント
ウインドウも薄型のものに変更された。
これにより、総重量はわずか902kg
だったという。
エンジンは完全なスペシャルで、
シリンダーヘッド、プロフィールの異なる
カムシャフト、ハイコンプレッションを可能
にしたピストンなど、多くの専用パーツ
を使用しています。
ドライサンプ化され、圧縮比は11.5まで
高められた典型的な高回転型。
ベンチテストでは、440PS/8,500rpm
を記録したという。
クラッチは専用の強化型で、ミッション
はZF社製。
ギア比はクロス化され、デファレン
シャルもZF社製のセルフロッキング
タイプが組まれました。
0→100km/h加速は3.6秒、最高
速度は300km/hを軽く超えたという。
サスペンションは、マクラーレンの
カンナムカーを手本に製作。
アーム類を自作し、コニ社製の強化
ショックとスプリングを採用し、レーシ
ングカーそのもののセッティングが
施されました。
ホイールは、カンパニョーロ社製の
特注マグネシウム。
ウォレスはこの特製ホイールを2セット
オーダーしたが、1セットはクラッシュに
よって廃棄、もう1セットは後に製作した
ウラッコ・ラリーに使用されました。
組み合わされるタイヤは、最初は
ミシュラン社製のHSを装着。
次にピレリ社のP7、P7Rに交換
されました。
エクステリアも独特で、アクリルの
カバーを持つ埋め込み式ヘッドライト、
ノーズのスポイラー、ドライビング
ランプとウインカー部分をカバーする
プレクシグラス、ルーバーが取り外され
エアの抜けがよくなったボンネットの
ダクト、小型のシングルワイパー、フロ
ントタイヤ後ろのネットが張られている
ダクト、スライド式の小窓を持つアクリル
製のサイドウインドウ、ガイドが廃止
されたドア後方のエアスクープ、取り
外し可能だったルーフ後端の小型
エアスクープ、サイドシル部分のリア
ブレーキ用インテークの廃止、トレッドが
増えたリアタイヤを覆うために独特な
ふくらみを持ったリアフェンダー、テール
ランプ内側に設けられたダクトなど、
ミウラとは印象がかなり異なる。
インテリアも同様に、まったくの別物
となっている。
ステアリングはアルミ製の3本スポーク
で、タコメーターは高回転域が見やすい
ように、90度オフセットされて装着。
シートは薄いビニール製のバケット
タイプで、助手席の足元には消火器が
セットされていた。
1970年7月に完成し、ウォレス自身に
よってほとんど毎日テストが
繰り返された。
社内では「ボブのクルマ」と呼ばれ、
彼以外はそのステアリングを握ることは
許されなかった。
レースへの参加は禁止されていたが、
ドイツのニュルブルクリンクで行われた
マイナーレースに1回だけ参加したという
記録が残っている。
テストは2万kmにおよび、逆Aアームに
ラジアスロッドを配したリアのロアアーム
をAアームに変更、エンジンのドライサンプ
化など、ミウラP400SVの改良に貴重な
データを残した。
しかし、ウォレスがカウンタックLP500の
量産型への改良で忙しくなり、ミウラ改良
の役目を終えたイオタは、工場の片隅に
放置されてしまった。
だが、このクルマの存在を知るマニアック
な顧客から、売却の話しが引きも切ら
なかった。
フェルッチオはその声に応えなかったが、
1970年秋に突然レストア作業が指示
された。
外装レッド/内装ブラックの新車に仕上げ
られ、シャシーナンバーは5084を打刻。
「イオタ」と名付けられ、イタリア・ミラノに
住むジェリーノ・ジェリーニ氏に売却された。
#5084
その後、ヴァルテル・ロンキ氏を経て、
カーショップを経営していたエンリコ・パゾ
リーニ氏に譲渡された。
パソリーニ氏は、顧客のベルポナー氏に
売却する予定でイオタを購入。
1971年4月28日、その試乗が行われた。
場所は、ミラノの東にあるブレシア。
完成したばかりでまだ使用されていない
直線道路を走行中、イオタは車体がまっ
ぷたつになるほど大クラッシュを演じ、炎上。
運転していたパゾリーニ氏の証言によると、
230km/h前後、5速にシフトアップしようと
した瞬間、急にノーズが浮き上がったという。
道路のバンプに乗ったのか、車体が軽すぎ
たのか、原因は不明。
スクラップと化したイオタはランボルギーニ
社が回収したが、修復不可能と判断され
スクラップとなったらしい。
なお、焼失を免れたエンジンは、ブロックを
再利用。
ウエットサンプに改良され、シャシー
ナンバー4878に搭載したと、ウォレスは
証言している。
多くのランボルギーニ専門書には、オーナ
ーがサーキット走行中にクラッシュした、
あるいはこのクルマのメカニックがガール
フレンドを乗せて走行中に橋の欄干に
激突し消滅したと記されて
いるが、それは間違いである。
イオタを熱望する顧客からの問い合わせが
多く、ランボルギーニではオリジナルの
5084以外に、数台のレプリカを製作した。
まずは"Jota"といえばこのSVRという
代表格的存在である、ミウラP400ベース
の#3781。
(ベースとなったのは1968年11月30日
P400)は、西ドイツでランボルギーニ・ディ
ーラーを営むフーベルト・ハーネのオーダ
ーにより、1975年11月にイオタ仕様と
なった。
彼は後のランボルギーニ倒産の際、
1979年に知人の実業家を紹介し、再建の
助けにも出ている。
#3781
#3781
足回りはSVのものに交換され、エンジン
もチューンされている。
レーシーなスタイルからSVRと呼ばれ、
本物と勘違いされることが多い。
他のイオタにはない特徴的なルーフ
ウイングとBBSホイールはランボルギーニ
からデリバリーされた後に装着された。
このルーフウイングは、もともとはウォル
ター・ウルフがオーダーした超初期の
カウンタックLP400に装着されていたもの
と同型。
ハーンはあるアメリカ人のために3781の
イオタ仕様をオーダーしたがキャンセルと
なったため、某日本人に10万マルク
で売却。
スーパーカーブーム真っ最中の1976年
6月2日に、日本に上陸した。
現在も日本にあるが、オーナーは
代わっている。
この#3781だと思われます。)
440PSのイオタのスペアエンジンを積むと
いう4860。SVJとも呼ばれてます。
(ベースとなったのはデリバリーされた
P400SVで、3781と同じくフーベルト・ハー
ネのオーダーにより、1972年10月に
イオタ仕様にされた。)
ハイチの富豪が持っていた4990
(1972年4月18日にデリバリーされた
P400SVで、半年後にイオタ仕様に。
#4990
新車からイオタ仕様だった5090
(ベースはミウラP400SVで、約400PSまで
1972年8月25日にデリバリーされた)、同じ
く新車からイオタ仕様だった5100(ベースは
ミウラP400SVで、約400PSまでチューン。
※このオレンジ色が5100だと思うのです
が、詳しくは不明です。。スミマセン。
この5台をランボルギーニでは“公認”
としている。
時系列にすると、オリジナルの5084が
1972年8月2日にデリバリーされ、同じ月
の25日に5090、31日に5100、10月に
4860、その後4990がデリバリーされ、
3年後の1975年11月に3781がデリバリー
された。
公認以外にも、日本をはじめ、世界中に
数多くのレプリカ・イオタが存在するが、
ランボルギーニ創立40周年のイベントに、
この5084をそっくり真似たクローンが登場
★クローン・イオタ
なお、ランボルギーニでは、今でもミウラを
持ち込めばイオタに改造してくれる。
これを読むとお解かりのように、
”イオタ”は実は#5048の1台
のみなんです。
公認の5台は基本的にレプリカと
されちゃっているのです。
これだけ長々と書いてこんな事を
言うのもなんですが、本物とか
レプリカなんて今となってはどう
でもよい事。
※個人的には公認レプリカは本物だと
思っているので・・。
勝手な私個人の好みとしては、
やはり一番有名な#3781の
SVRがイオタ中のイオタ(笑。
ゆくゆく展示会等でもしこの5
台の公認レプリカのどれかを
見る機会があれば、上記の
事実を知ってたりすると何十倍も
楽しめると思います。
長~いオタク度全開の文章、
どうぞご勘弁ください。