2011年3月11日 午後2時46分18秒
今から3年前。
3時少し前のことです。
私は、上の息子の
“二分の一成人式”に出席の為、小学校にいました。
会は終わり、解散になったものの、5時限目で下の息子が終わるので、廊下で待っていました。
廊下を行き来する子供たち。
時折会話し、ニコニコと応対しながら、下の息子のクラスの帰りの会がまだ終わらないのかな??
と、待ちくたびれながら携帯に視線を落とし、時間を確認していました。
すると・・・
??
あれ?
なんだろう??
ユラユラする。
体がゆらんゆらんと静かに揺れています。
奇妙な感覚に、
(また、メニエールが復活したかな??)
と、単純に考えていました。
でも…
にわかに周りの人々が、違和感に気付き始め、校内アナウンスが流れたと共に、子供たちがキャーキャーと言いながら、机の下に避難しました。
「ユッキーのお母さん!!」
私を呼ぶ子供たち。
四年生クラスは、“二分の一成人式”の後片付けの為に、大多数の子たちが、別の教室に移動し、四年生クラスに残っていた子たちは、五名ほどでした。
隣の三年生クラスの先生が、その子たちの様子を見ながら、自分のクラスの子たちの気持ちを落ち着かせるために、お話をしているのが聞こえます。
「大丈夫だよ!」
私は、私を呼ぶ子供たちの声に、ただ、そう返事をすることしかできませんでした。
数分後…
地震の揺れは収まり、校内放送も流れました。
「もう、動いていいよね」
と言う子供たちに、放送も流れたし、いいはずじゃないかと言葉をかけ、ゆっくり教室に行くように促しました。
その後、私は帰りの会の終わった下の息子と一緒に帰り、前のお店…
“長島ショッピングアイ店”でホッとしていましたら、主人から電話がありました。
その主人の電話で初めて、宮城が大変なことになっているのを聞き、慌てて、宮城に住む友人にメールをしました。
三時半のことです。
およそ一時間後…
「とりあえず大丈夫」
そうメールをもらい安堵。
けれど、自宅に帰りテレビを付けた途端、その些細な安堵が吹き飛ぶ光景に息を呑みました。
「え??」
ナンダ、コレ・・・
波が、生き物のように建物や車を呑みこみ、吐き砕く。
粉々になった何とは分からない残骸が、砂浜のように広がって行く。
どのチャンネルに変えても、同じような光景ばかりで、何でこんなことになったのか、分かり切ったことであるにも拘らず、理解するまで時間がかかりました。
(大丈夫じゃないやん!)
でも、こんな状況だから、携帯のバッテリーは大切な人への連絡の為にとっておいて貰った方がいいと思い、連絡をするのはこらえました。
5時過ぎ…
彼女から再び、橋渡しをして欲しいとメールが入り、喜んで買って出ました。
それから2度、メールのやり取りをしました。
それが、2011年3月11日と、その後2、3日のことです。
彼女は、もちろん、元気です。
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3.11から3年…
去年、東京に行ったので、その足で彼女に会いに行けないかな??
と思い、連絡をしたのですが、いろいろと難しく、諦めました
今年は、久しぶりに会いたいな。
話したいことが、いっぱい、ある。
友達と、連絡を取り合える喜び。
家族と一緒であることの喜び。
生きていることの喜び。
今、ここにいる私たちは、幸いなことにいろいろな喜びを持って生きています。
無駄に生きずに、出来るだけのことをしたい。
日々起こる事故や事件。
想像力が欠落したなと思う現代。
自分に降りかかっていなくても、“想像する”と言うことは必要だと、私は常々息子たちに伝えています。
人の立ち位置に立ち、想像すること。
その人の立場になって、同じことをすればいいと言うのではない。
言うのは簡単ですが、実践はなかなか難しい行動の一つですね。
けれどその前に・・・
3月11日。
ただ、静かに…
黙とう・・・
http://www.human-world.co.jp/ahaki_world/newsitem/11/0601/110601_5_shuki.html
コチラの記事も、ぜひ、御目を通して頂けますと、幸いです。
忘れないために…