昨日は夜桜見物に京都の丸山公園までいってきた。

それにしても、学生のイッキ飲みがあったり、仕事帰りのサラリーマンもおり非常ににぎやかだった。

中でも外国人のお客さんがたくさんいる。さすがは古都京都である。

それにしても夜、ビール飲みながらみる桜は非常に格別なものだ。

ただ、春とはいっても夜は冷え込む。調子にのってビールを飲みまくっていたら、寒くなってきた。

夜桜見物はしっかりとした防寒対策が必要であろう。

それにしても、京都の夜桜は非常に風情があり、格別な思いだ。

また、来年もいってみたい。



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本日は巨人の木村拓也コーチが37歳という若さで亡くなったという衝撃が走った。

もともとくも膜下出血は男性よりも女性に多い病気のようだ。男性に多いのは脳卒中だ。

先週の広島戦前のノックの途中で倒れたが、くも膜下出血は前兆がないようだ。

何故、こんなに若くして、命を奪われるのか。木村拓也さんは野球少年のように野球がすきだったため、ストレスが原因とは考えにくい。

木村拓也コーチは宮崎南高校から日本ハムへドラフト外でキャッチャーとして入団。日ハムからは任意引退選手扱いになりながら、俊足と強肩が買われ外野守になる。日ハムでは目がでず1994年に広島へ移籍し正田耕三選手の後釜として二塁手となり1997年にはスィッチヒッターとなる。その後はピッチャー意外の全ポジションをこなすユーティリティープレイヤーとなる。

昨年に巨人を引退し、そのままコーチとなったが、人から誰でも好かれる性格で周りからも慕われていたとか。

なにはともあれ、今後の指導者として有望視されていただけに本当に残念だ。

冥福を祈りたい。

ニューヨークヤンキースの往年のプレイヤーのミッキーマントルの直筆サインボール。このボールは1960年にコミスキーパーク(旧シカゴホワイトソックスの本拠地)にてファールボールをミッキーマントルが放ちその後、サインをもらいに行ったボールでございます。サインもボールも綺麗ですね。

ミッキーマントルは華やかな活躍をしていましたが、親が早死にした関係で自分も長生きしないと思いこみ、毎晩のように大酒を飲んだことは有名なエピソードです。

コミスキーパークといえば、80年以上もシカゴホワイトソックスの本拠地として使用されてました。そのほか1941年から1950年黒人だけのチームで構成される二グロリーグのシカゴ アメリカン ジャイアンツの本拠地としても使用されてました。現在はとりこわされたましたが、USセルラーフィールドの駐車場にホームプレートがのこされているとやら。まるで、大阪にあります、なんばパークスのようですね。なんばパークスも旧大阪球場跡地でピッチャーマウンドとホームベースがあった場所をそのまま、植え込まれている。

さて、話はミッキーマントルのサインボールだが、当然証明書も付いている。なかなかゲーム使用のボールはみつかりにくく、百万以上はする商品だが、少し安い設定にしており、少しお買い得かも。



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