うめめの子供はクソがきで、ダカフェの子供はやわらかで。 | CM大往生

うめめの子供はクソがきで、ダカフェの子供はやわらかで。

梅佳代のクソがきを見ていると、ほんとうにクソがきの表現力は素晴らしいと想います。
クレヨンしんちゃんがおちんちんをひっぱってゾウさんをしたりお尻を出したりするのを
下品であると PTA氏などは云うようですが、実際男の子はかくも果てしなく下品でバカ
なことをするものです。

梅佳代のクソがきは、普遍的な日本のバカを表象してさえいるように思えます。

塩田明彦の映画「どこまでもいこう」(1999年)は、キャリアを後にも先にも積まない子役
が ぢつにクソがきぶりを発揮します。エナリくんのように「こうあって欲しい」子供でも
神木くんのようにキレイな子供でもありません。それゆゑのチカラをこの映画は湛えて
居ます。

古厩智之の映画「まぶだち」(2000年)、これもまた他でキャリアをとりわけ積むわけで
ない子役(といってもミドルティーン)が、田舎町でぢつにつまらなく鬱屈したなかで窮鼠
猫を噛まんがごとき心情の日々を送る映画です。このような映画的な物語を持たない
映画で、おまけに後にも先にも見かけない子役によって演じられる(子役らしい演技で
ないのがミソ)ことが、深みをもたらしています。(演技が出来ないので、なにを考えている
のかわかりません。しかし、実生活においては、それが普通ですね)

こうしたクソがきぶりも鬱屈も、キャリアを積んだ子役であれば、ステロタイプな表情となり、
厭らしさを憶えるかもしれません。
#上述2本は公開時に見ただけなので、かなり おぼつかぬ記憶に基づいて書いて居ます。

一方、ダカフェ 。夏の光もやわらかで、冬の光もあたたかですね。
少しずつ変わっていく顔立ちを面影辿りつつ見るというのは面白いものだなあと想います。

子供というのは平気で昆虫を殺しますよね。その善悪を私は知りませんが、殺しちゃいそうな
梅佳代のクソがき、そんなことはして欲しくないダカフェの子供。

梅 佳代
うめめ

梅 佳代
うめ版―新明解国語辞典×梅佳代
梅 佳代
男子