言葉の使い方 | 数をかたちで体験する積み木マジロコ

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言葉は正しく使いたい。

例えば、「出来る」という言葉は、「良い事、望ましいことに使う」のが正しい。

つまり、「勉強が出来る」「運動が出来る」の表現は妥当。

しかし、「泥棒が出来る」との使い方は、いかがなものであろう?

「泥棒」がまるで良い事、望ましいことのような印象を与える。

それでも、もし、、「泥棒が出来る」との表現を敢えて使うならば、
「どろ棒すること」を好ましいことと暗に宣言していることになる。

以上の考え方は、日本人として国語を普通に理解する人たちにとって、特に反論はないであろう。


さて、公共放送を聞いていて、以前から気になって仕方がない表現がある。

毎日、普通によく聞く言葉に、「する」ではなく、「出来る」がよく使われていて、

これは「それが出来ることを暗に良い事」と表現しているとしか受け取れない。

例えば、「戦争が出来る」などと、もしも表現したならば、

「それを好ましいことと考えている表現」と感じるのは私だけであろうか。

他にも例はある。ちょっと納得出来ない言葉使いの例だが。

「挑発」という言葉。

挑発とは、例えば、それまでその気がない男性の前で、しどけない格好をするのは単純な意味での挑発。

この挑発によって、よからぬ気持ちにになり、妙な行動が起きてしまうのが、挑発の最悪のパターンだ。
 
その理由は、「挑発をしなければ、余計な よからぬ行動は 起きない」ことが想定される」からだ。


 挑発とは、最初に起こした方に原因がある。

最近、この「挑発」の言葉をよく聞くが、どうも使い方に違和感を感じる。

強く挑発されて、それに反発する行動に対して、つまり、挑発された結果の行動した方に対して「挑発」の言葉を使っているように感じる。

公共放送や日常生活で、私たちはもっと正しい日本語を使わねば日本人として恥ずかしい。

何が真実かをしっかり、冷静に判断し、正しい言葉を使い、地球の皆が平和でおもいやりのある関係を築いていかねばならない。
強く挑発すれば、たまりかねと反発する。そういうことが起きないように、日本は世界のオビニオンリーダーにならねばならない。

追従により、身を守るほど日本人の精神は後退してはいないことを信じる。