1999年4月に陸上自衛隊に入隊して2007年4月に除隊するまでの体験談を書こうと思う。

 

専門学校卒業間際に、就職活動が始まり周囲は民間企業に就職が決まっていく中、私だけプラプラしていました。

幸い体だけは頑丈で当時空手を習い、学業に専念せずにバイト三昧な私を母が自衛隊入隊に勧めたのが入隊動機です。

地方連絡部へ連絡してパンフレットやら、入隊後の生活なり説明を受け、実際に駐屯地(豊川)も見学しました。

当時は、ミリタリー雑誌で自衛隊を調べ、レンジャー部隊に憧れ、いつしか自衛隊に入隊する事が目標となっていました。

当時は超就職氷河期で、自衛隊は特別職国家公務員であり、安定志向から入隊の倍率も相当高かった記憶があります。

試験は、高校卒業程度の科目の筆記試験、身体検査、面接を受け、結果は1ヶ月後に通知が来る流れだ。ご時世が故に人気で、私が受けた任期制隊員でも倍率が10倍以上あり、補欠合格で入隊が決まったわけです。任期制度とは2年毎の契約制であり、任期満了の際は継続か辞めるかの選択をしなければならない。1任期が2年 2任期が4年 3任期が6年 4任期が8年であり、大抵2任期、3任期辺りで辞めていくのが大半でした。自衛隊に定年まで(当時は55歳)残る場合は、試験を受け最終合格しなければならないが、この試験が大変なわけです。内容は学科試験、体力検定、分隊教練、面接から構成され、試験は1年で3回実施される。1次試験が筆記試験で合格者は、2次試験の体力検査等に進む。この試験いくら学科、体力が優秀でも結局隊内の政治圧力が絶大であり、気に入られる者しか合格できない。 自衛隊は入隊すると前期教育、後期教育の計6ヶ月集団生活で自衛官としての基礎を徹底して学ぶ、前期の3ヵ月は着る服(戦闘服)のプレス(アイロン)、履く靴(戦闘靴)の磨き、ベットメイキング、隊列行動、基本教練、座学、射撃、行軍訓練等自衛官の基礎教育を徹底して教育 後期は各職種(歩兵、通信、戦車、施設、特科等)に適正で振り分けられ、職種の基礎を徹底して教育されます。私は、前期は三重県久居市(33普通科連隊)、後期は東京都練馬区(第一通信大隊)で教育を受けました。後期に上京した理由は前期教育の頃に、第一空挺団の適正検査を受け合格して、空挺団に配属される訓練生として別枠で後期教育を受けたわけです。私は後期教育は通信だった為に、教場で小難しい通信の理論、機材の取り扱い方を日々学んでいました。後期教育終了で習志野駐屯地(第一空挺団)へ配属され、除隊するまで在籍していました。第一空挺団とは日本で唯一の落下傘部隊であり、奇襲攻撃専門のゲリラ部隊で長官直轄部隊の為、体力、知力共に優秀で選抜された隊員が全国から集まってきます。空挺団に配属されたら基本降下課程へ入校して、落下傘の取り扱い、操作、基本訓練を2ヵ月で修得して、最後に5回降下が終われば卒業、晴れて徽章(空挺バッジ)が付与される。卒業後は部隊へ配属され下積みを重ね、日々訓練の生活を過ごす。自衛隊の1年間のサイクルは、競技会(マラソン、格闘、射撃、ラグビー等)、検閲(最高幹部の点検であり部隊の能力の練度をチェック)検閲に向けた訓練、練度向上を図る訓練で過ごし、基本週休2日、長期休暇もある。部隊は即応態勢で構成されているので、祝日、休暇中も部隊が空だと困るので、休暇は前段、後段と分けて取ります。部隊に配属され下っ端は、徹底的に上下関係の厳しい体育会系の世界に入り浸る。上官の靴磨き、居住隊舎の清掃は週一、下積み仕事を1年間我慢すれば、後輩が入ってくる流れだ。1年中訓練しているイメージを持たれがちだが、決して違っていて暇な時期は、駐屯地の草刈り、演習場整備、車、機材の整備、雑用(補給物資支援)がメインです。大掛かりな演習訓練は4ヶ月に一度位です。

演習とは富士演習場に移動して、約10日間訓練展開します。帰ってきて資材整備して3連休の流れです。検閲訓練は部隊のテストであり、部隊の最高指導者がチェックする訓練で、2年に一度の頻度で実施され、この検閲に向けた演習訓練が大々的に実施されます。検閲開始1年前は、頻繁に演習訓練があるので超忙しくなります。空挺部隊の任務は敵地の後方に侵入して、航空機で投下した車両、資材を回収して作戦を展開する事がメインであり、侵入する為に敵の後方100Km位から侵入の為、約30kgの荷物を背負い、3日間歩き続けた後に作戦展開の為、強靭な体力が必要となります。行軍が終わってからが訓練が始まるわけです。荷物は約10日間生きる為の食糧、備品等を背嚢に詰め込めば軽く30kgには到達します。更に約4kgの小銃も持参しての行軍です。まさに極限状況の訓練であり、私も初めて参加した際はあまりのキツさに泣いてしまった。100kg歩き終わっても、穴掘り、通信設備設置の作業で時間制限で行う為地獄の表現が妥当であろう。空挺部隊は精鋭と自ら自負しているだけに訓練、演習は内容も濃くて様々な経験を積んだ。パラシュート降下も月に一度ペースである為に、緊張間も半端なかった。慣れてくると恐怖は薄れ、手当が降下の度に貰える為に、嬉しかったのを覚えている。更に給与面でも危険手当が付く為、基本給が一般自衛官より+8万程高かった。20代で年収400は超えていました。空挺部隊は自衛官なら憧れる為に、体力自慢は皆目指すのだが、倍率が高くて、余程優秀じゃないと声が掛からないし、行かせてもらえない。200人中3人程度しか行けないのが現状です。更に基本降下課程教育に入校する体力検査が難関で、体力自慢でも脱落していました。従って合格して残っている隊員は化け物地味て体力が凄いわけです。私も全盛期はベンチプレス120kg 3000m走は10分30秒 体力検定高得点で1級でした。単純な基礎体力だけならオリンピックアスリートを超えていたと思います。そんな人がゴロゴロいて、更に凄い人は正に化け物です。ベンチプレス180kg、垂直飛び1m超えで、中距離も速い 握力笑いながら80kg超えたり、150kg程のドラム缶を1人でトラックの荷台に載せたり、素手で剣道の道着の胴の部分を破壊したり、漫画の様な話が日常でありました。この部隊にいた時程今は体力は全然無いが、鍛えた貯金と週2日程のジムトレーニングで今も体系的に筋肉質は維持しています。空挺部隊には残りたかったが、色々な事情で残れず、就職応援課で警備会社に転職したわけです。 次回は警備会社時代を懐古してみたいと思います。 終わり