後続を引き離し、先頭駆け逃げる子どもの姿を、ダリアは愛し気に見つめていた。
向こうもダリアの存在に気付いたのだろう。
ハッと面を上げると、駆ける足はそのままに、小さな口が彼女を呼んだ。


「かぁさま…っ」


それまでの必死の形相は跡形もなく消え去り、満面の笑みを浮かべて駆けて来る。
突然速度を上げた獲物に、棒を掲げて追い掛けていた子どもが顔をしかめて前方を見た。
銀色の髪をした獲物の先に、黄金色の髪の美しい女が立っている。


「っ!?鬼だーっ!!止まれっ!止まれーっ!!」


突如上がった叫び声に、子ども達は次から次へと足を止める。


「鬼がでたぞー!食われるぞーっ!!」


口々に叫び声を上げては、一目散に引き返す。
中には、ダリアの姿を目に、泣き出す者までいる始末。
まるで、蜘蛛の子を蹴散らしたかの様な有様だった。
瞬く間に子供たちは逃げ去り、後には誰一人として残らなかった。


「かあさまっ!」


ただ、先頭を逃げていた子どもだけが、ダリアの元に駆け寄り、その勢いのままに飛び付いた。
パフンと音を立てて、小さな体が抱きつく。
子どもの体から温かな太陽の薫りが鼻孔をくすぐった。


「かあさま、かあさま!おかえりなさいっ!」


飛び付いた反動で子どもの髪が広がる。
夕陽に染まる白銀の髪は、真っ直ぐに、地に着きそうな程に長い。
ダリアはその髪を優しく梳いた。


指に絡まることなく、重力に従い滑らかに落ちる銀糸。
下から真っ直ぐに見上げてくる曇りひとつない青灰色の双眸。


子どもの併せ持つ色の中に“彼ら”現す色は無くも、その皮膚の下を巡る血には、間違いなく“彼ら”の力が受け継がれている。
“彼ら”にとって、足の指先から頭の天辺、髪の毛一本に至るまで、全てが力に直結している。
それ故に、子どもの髪には一度も鋏を入れたことがなかった。


ダリアは見上げてくる瞳の色彩の中に遠い過去を見つめた。


「かーぁごーめーかーぁごーぉめーぇ かーぁごのなーぁかのとーぉりーぃはーぁ いーつぅいーつぅでーぇやーぁるーぅ」


童歌が聞こえてくる。
子どもたちが両手を広げて繋ぎ合い、大きな輪を作っている。


「よーぉあーけーぇのーぉばーぁんーにーぃ つーぅるとかーぁめがすーぅべったーぁ」


ゆっくりと歩きながら、円が回る。
その中央に、ぽつんとある、銀色の塊。
子どもが一人、地面にしゃがみこんでいた。
細い腕が両膝を抱え、顔を伏せて蹲っている。


「うしろのしょーぉめんだーぁれーぇ」


くるくると回っていた籠がピタリ、と止まった。
子ども達は、繋いだ手を放し、中央に向けていた視線を、その真後に立つ子どもへと移す。
その隣に立つ子どもが、側に落ちていた木の枝を拾い、手渡した。
子どもの手には余るほどの大きな棒。
皆の視線を一身に浴びて、握った棒を大きく振りかざす。
すると、それまで身動きひとつとしてしなかった銀色の塊が、突如、ビクンッと跳ね上がった。
背後に棒を構えられた瞬間に、中央にしゃがんでいた子どもが駆け出した。


「あっ!逃げたぞっ!」
「シュウジンが逃げたー!追えー!逃がすなー!」
「オヤクニンサマの後に続けー!シュウジンを逃がすなー」


突然の事に驚き、1テンポ遅れてから、子どもたちが口々に叫ぶ。
逃げ出した子どもを追って、棒を掲げ持つ子どもの後に続いて一斉に駆け出した。


先頭を走る銀色の塊。
ぼろぼろの小さな着物から伸びる細い手足。
地を駆ける足は何も履いていない。
裸足は土に汚れ、小石によって傷付けられる。


それでも、子どもは走り続ける。


泥にまみれながらも隠しきれない、雪の様に白い肌。
その上に落ちる白銀の髪。


誰もが黒髪に太陽に焼けた褐色の肌という似通った容姿の中で、

唯一人だけ、異彩を放っていた。

一日の給金を受け取ると、ダリアは酒場を後にした。

外の方が酒場の中よりも明るくて、一瞬時の流れに錯覚を覚えた。


ダリアが店に出たのは昨夜遅くのこと。
一日、または半日置きにこうして酒場で歌い、生活費を得る。
そんな暮らしが、もう何年も続いていた。


ダリアは面を上げ、あらためて周囲を眺める。
山間に沈んで行く夕陽が世界を茜色に染めていく。


こんなに眩しい太陽も、土色をした大地も、此処に来て初めて出会った。


―――暖かい。


凍てつく氷の様に冷たかったダリアの体と心を、この土地がゆっくりと六年の時をかけて癒し、溶かしていった。


もうすぐ、人の暮らしを始めて七年が経つ。


ダリアは目を細めて遠方を見つめた。

人の目には捕える事の出来ない程離れた先に、何よりも愛しい存在がある。
今宵が、その者と過ごす最後となることをダリアは知っていた。


彼女は夜魔族のはぐれ者だった。
夜魔族である彼女は、人と同じに歳をとらない。
六年間の間に、共に暮らした赤子は少年へと成長した。
人として生活するにも、限界がきていた。


この六年間ダリアが愛し育くんできた子どもが、明日、七歳の誕生日を迎える。
その時までが、彼女に課せられた期日だった。