こんにちは。

 

今日は、久々にお昼ご飯を作りました。

ルーを使わないハヤシライスです。

ケチャップと中濃ソースで仕上げました。

とろみがあるものの、あっさりした風味で、上手にできたと思います。

母から、「美味しい」の言葉を頂きました。

 

料理をしていて、改めて感じました。

 

食事を、”当たり前”と感じてはいけないこと

作ってもらうことも、食べることも。

 

母が作る食事を、いつも食べているから、つい忘れそうになる。

 

毎日、メニューを考えるのに頭を悩ます母。

たとえ気分が乗れない時でも、ご飯を作ってくれる母。

その日のご飯に関して、嫌なことを言われても、黙々とお米を研いでいる母。

 

私は、そんな母の後姿を、ずっと見てきました。

 

献立に関しては、考えに煮詰まる日もあると思います。

「摂食障害」の娘(私)がいるから。

私には、食べるのが怖い食材が、まだいくつかあるから。

 

その1つが、じゃがいも。

私も本当は、じゃがいもが好き。

だけど、「芋=炭水化物→フトルモノ」ってレッテルが、まだ離れない

だから母も、芋を使ったおかずは、控えてくれています。

 

本当は、母はじゃがいもが好きなんです。

私の馬鹿な思い込みに、母を付き合わせてしまっている。

カレーにじゃがいも、前は入っていたのに、今は抜きで作っています。

 

母の「食べたい」欲求を、我慢させているのかも。

道連れにしている気がして、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

もし母も、私と同様に「食べたいものが分からなくなった」ってなったら…。

私のせいです…。

 

食事作りの縛りをつけて、ごめんね。

本当は、お母さんの芋料理が、食べたい。

 

でも、謝ってばかりじゃない。

摂食障害になってから、自分に課してことがあります。

 

一回一回の食事を、全身全霊で味わうこと。

”作ってもらう”ことの感謝を、忘れないこと。

 

この2点を、いつも心がけています。

私にできる、唯一の「ありがとう」の表現方法です。

 

じゃがいもの料理を一緒に食べて、「美味しいね」って言い合いたい。

 

本日もお読みくださり、ありがとうございました。