このお盆休み、

あまりの酷暑に遠出する気にならず

マジだみはほとんど家におりまして

 

趣味の刺繍のほか

球切れしていた電球の交換や

手の届きにくい所の掃除など

自宅の掃除に時間を費やしていました。

 

しかし、お盆休みも中盤になると

さすがに引きこもり生活にも飽き

近場で美術系のイベントでもなかろうかと

美術展示会のネットサーフィンをしましたら

 

山種美術館で日本画家の東山魁夷展が

開催されていることを知りました。

 

 

以前のブログでも

少し書いたことがありますが

マジだみは東山魁夷の大ファンであります。

 

彼の作品との出会いは

高校の現国教科書の表紙でして

それは魁夷の代表作である「道」でした。

 

 

「道」東山魁夷
1950(昭和25)年制作

 

 

小学生の時

ジャポニカ学習帳の

オオムラサキ蝶の写真に感動して以来

マジだみは久しぶりに

学習ツールの絵に身を震わせまして

 

それからというもの

魁夷の描く世界の虜になっています。

 

 

もちろん魁夷の作品集も

マジだみの手元にありまして

 

日常生活の忙しさで

心がささくれ立っている時

作品集を眺めては癒されているので

 

その本物が見られるチャンスがあれば

逃す手はございません。

 

というわけで

炎獄化したお天道様が天空へ昇りきらない

午前中をねらって

マジだみは山種美術館に行ってまいりました。

 

 

山種美術館は、恵比寿駅付近の

南青山へ抜ける大きな坂道を

1キロ程先に進んだところにあります。

 

JR恵比寿駅で下車し

密集する飲食街の北側へ歩くと、

坂道のスタート地点である

明治通りに出ました。

 

午前中とはいえ既に日差しは強く

焼けたアスファルトは

熱気で揺らめいていて

 

日傘を掲げていても

怒りたもうお日様の下歩くのは

勇気がいりますが

 

しかし、

この辺りは高級住宅街の一角でもあり

よく手入れされた大きな植樹が

道路脇に整列しているので

等間隔に並ぶ木陰が

マジだみの吹き出す汗を

冷ましてくれました。

 

 

 

 

坂道の途中には

イタリア屈指の高級家具店である

アルフレックスが見えます。

 

 
 

 

アルフレックスには「マレンコ」という
インテリア業界では
有名なソファが販売されていまして
富裕層がコンスタントに
購入されています。

「マレンコ」※カバー無しの状態
デザイナー︰マリオ・マレンコ 
1971年作 イタリア製 
¥550,000 麻カバー(二人掛け)
 
 
 
 

 

 

アルフレックスを通過して

ようやく坂道を上がりきったところで

山種美術館が姿を現しました。

 

 

山種美術館(新美術館) 2009年竣工
設計︰日本設計
 
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山種美術館は、山崎種二(1893-1983・山種証券[現SMBC日興証券]創業者)が個人で集めたコレクションをもとに、1966(昭和41)年7月、東京・日本橋兜町に日本初の日本画専門美術館として開館しました。
 
 種二は「絵は人柄である」という信念のもと、横山大観(1868-1958)や上村松園(1875-1949)、川合玉堂(1873-1957)ら当時活躍していた画家と直接交流を深めながら作品を蒐集し、奥村土牛(1889-1990)のように、まださほど知名度は高くなくとも将来性があると信じた画家も支援しました。
 
そして、「世の中のためになることをやったらどうか」という横山大観の言葉をきっかけとして、美術館を創設するに至ります。
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山種美術館ホームページより引用
 
上記のように、山種美術館は
山崎さん個人蔵の日本画や古文書など
1800点の作品をメインに
企画展や常設展を開催しています。
 
ちなみに、山種美術館蔵の日本画で
この猫をどこかで見たことがある方も
いらっしゃるかと思います。
 
「班猫」重要文化財
作者︰竹内栖鳳(せいほう)
制作年 1924(大正13)

 

 

体躯のもふもふ感や

透き通るようなキャッツアイが印象的な

見返り美猫像です。

 

 

 

 

。。。で、

今回はマジだみの大好きな東山魁夷展!

 

ということで

早速いってみましょう。

 

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東山魁夷企画展ポスター

 

 

 

 

 

館内風景
 
 
「満潮来る」1970(昭和45)年
「満潮来る」は、皇居宮殿を飾る東山魁夷《朝明けの潮》に感激した山崎さんが、一般国民にも鑑賞できるようにと同種作品を魁夷に依頼したもの。
 
 
「年暮る」1968(昭和43)年
 
「秋彩」1986(昭和61)年

 

上の2作品は、京都の四季を描いた「京洛四季」の連作4点《春静》《緑潤う》《秋彩》《年暮る》のうちの2点。
「京都は今描いといていただかないとなくなります。京都のあるうちに描いておいて下さい」。魁夷が「京洛四季」の連作を手がけたのは、9歳年長の友人だった文豪・川端康成のこの言葉がきっかけだった。
 

ちなみに山種美術館が所蔵の魁夷コレクションを一挙公開するのは10年ぶりという。

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上記はアートのポータルサイト「美術手帖」より引用

 

 

今回の企画展では

作品の横に制作時の裏話が掲載されていて

 

魁夷の日本画を楽しむのと同時に

魁夷の広い交友関係に驚かされたり

魁夷と交流のあった人物を通して

魁夷の真摯な人柄を感じたりと

 

とても実りある時間を

過ごすことが出来ました。

 

 

そしてマジだみはひとつ

確信を得たことがあります。

 

この山種美術館のオーナーで

日本画のコレクターだった山崎さんは

「世の中のためになることをやったらどうか」

という横山大観の言葉に触発されて

この山種美術館を創設しました。

 

また、東山魁夷も

「京都は今描いといていただかないと

なくなります。

京都のあるうちに描いておいて下さい」

という川端康成の願いによって

「京洛四季」を制作し

 

また、山崎さんから

「皇居宮殿を飾る《朝明けの潮》を

一般国民にも鑑賞できるようにしたい」

という願いを受けて

「満潮来る」制作しました。

 

多くの人は、美術品を扱う時

「自分のため」に作品を買ったり

「自分のため」に

作品を制作するものだと思いますし

 

それが普通だと思います。

 

しかしその場合

自分が消滅したら

美術品もまた失われる可能性が高く

 

実際、

大正時代に生きた人達の中で

家や蔵の中にしまい込んだ

個人蔵の美術品が

第二次世界大戦の空襲で

家も蔵も焼けてしまい

 

沢山の人や美術品が失われたと思います。

 

ですがもし

「自分のため」ではなく

「誰かのため」であれば

その美術品はしかるべき場所に保管され

永い命を与えられ

 

山種美術館の今回の企画展のように

現代の我々の造詣を深め

 

そしてこれからも

山種美術館や東山魁夷の作品は

多くの人に長く愛されるでしょう。

 

 

そう考えますと

例えば自分のお金や時間を使う時

「自分のため」だけではなく

「誰かのため」にもなるのなら

 

それはお金には代えられない

不滅の価値を持つようになる。

 

。。。。

綺麗ごとかもしれませんが

マジだみがこれから何かに

投資したり時間をかける時は

それは

誰のためなのか

何のためなのか

 

よく考えてから

行動していきたいなと思いました。

 

今日もくさくてゴメンなさい。イヒ