初っ端から

介護に従事する方々に

お叱りを受けそうな

タイトルなんですが

 

「見捨てる介護」とは

ここ最近マジだみが到達した

親の介護への境地であります。。。。

 

 

 

 

マジだみんちには

75歳の実母が同居しています。

 

母には

夕食作りと洗濯物を任せているのですが

 

このところ母の作る料理の味付けが

濃かったり薄かったりして

家族から不満の声が上がるようになったので

 

家族それぞれが味を調整できるよう

塩コショウや醤油などの調味料を

食卓に常設する状態になっています。

(マジだみは食卓に

調味料が出しっぱなしになっているのが

好きではないのですが

仕方ないので諦めています。。。)

 

また、各種公的料金の支払いや

クレジットカードなど

母の生活にかかわるお金の管理も

母自身に任せていまして

 

先日は

健康保険料を支払い済かどうか

わからなくなり

ちょっとした騒ぎになりました。

 

病院通いも同じように

母自身で病院に予約を取り

そのスケジュールに合わせて動くように

させていますが

うっかり忘れてしまったり

いつ予約を入れたかわからなくなるのも

珍しくなくなりました。

 

 

母は1年前から

水頭症からの認知症を患っています。

 

水頭症は「治る認知症」と言われていまして

脳外科手術を施したことで

ダメージを受けた母の脳機能と認知症は

随分改善されました。

 

とはいえ

完全に回復したわけではないのと

そもそも加齢で

脳機能自体が衰えていっているので

 

先述した「出来なくなってきたこと」以外

もっと細かい「出来なくなってきたこと」を

数え上げるとキリがなく

 

それがマジだみの

大きなストレスになってきているのです。。。

 

 

本音を言えば

 

母に課している「自分でやるべきこと」を

全部取り上げ

母に何もさせず

マジだみが全て管理する方が

トラブルが随分減り

マジだみの負担もかなり緩和されるのですが

 

そうすると

母のボケは確実に加速していきます。

 

それは誤飲などの事故や

体力免疫力低下を招き

寿命を大きく縮めてしまうので

 

母に残された機能を活性化させたり

維持するために

トラブルが起きるとわかってはいても

「緊張感と責任をもって自分でやる」アクションを

これまで通り日常のサイクルに

組み込んでいかなくてはなりません。

 

それはつまり、マジだみの負担が

これからもずっと続くという事で

それを考えるだけで

正直うんざりしてしまいます。

 

 

母が何かに失敗するたび

母は「マジだみ!!ちょっと来て!!」と

マジだみを呼びつけ

 

ああ、もう!!

こんなことすら出来ないの!?と

イライラするマジだみの

鬼のような形相を見た母は

 

「マジだみはいつも怒っている。

マジだみが怖い」と

不満を垂れます。

 

アンタのために我慢してんだよ!!

 

。。。と言いたくなるのを

ぐっとこらえ

 

怖がらせたことを詫び

母が出来るようにするには

どのような工夫が必要か考え

母が上手く生活できるように

マジだみはフォローしているのであります。

 

 

 

そんな日々を送っていますと

いつの間にかマジだみの周りに

親や義両親の介護をしている人が

また一人また一人と

増えてきたことに気が付きました。

 

 

彼らの話を聞くと

 

義父さんが徘徊で外に出てしてしまって

探すのに苦労した、だの

 

「家の中に泥棒が入る幻覚」

(せん妄といいます)

を見たお母様が近所の人に助けを求め

職場に警察からの連絡が入る騒ぎとなり

 

しかもそれは一度ではなく

今回で3回目なのよ。。。といった

ため息が聞かれまして

 

自分に降りかかる大変さや辛さを

誰かと比べるのは

間違っているのですが

 

それでも

彼らに比べてマジだみはまだ

マシなんだと思うと同時に

 

これから母も

徘徊するようになるかもしれない

という想像に

冷や汗が出てしまいました。

 

※ちなみにマジだみは

福岡で一人暮らししている

義理母の面倒も

いずれ関わることになっています。

二人も面倒みれるんかい、私。。。

 

 

そんなある日

マジだみの部下である女性のお母様が

脳梗塞で倒れた、という情報が

入りました。

 

 

 

幸いにも命に別状はなかったものの

麻痺が残りまして

また認知症の初期症状も出ている、

ということで

 

その女性はお母様の介護の為に

旦那さんと別居し

お母様が住む実家の近くで

一人暮らしをするようになります。

 

親の介護するなら実家に引っ越せば良いのに

と思うのですが

 

潔癖性の彼女いわく

彼女の実家は「汚家」らしく

とても一緒に暮らせるものではないとのことで

 

在宅勤務が終わると

実家へ行きお母様の介護をしています。

 

。。。で

彼女がお母様の介護をするようになってから

明らかに彼女の仕事のパフォーマンスが

落ちてきまして

 

たまの出社の時でも

彼女が居眠りをしている姿をよく見ます。

 

 

心配になったマジだみが

彼女にヒヤリングをしますと

 

デイサービス以外の時間帯に

お母様が自宅でひとりになるのが心配だから、と

プライベートの時間のほとんどを

お母様の手足となって動き

 

毎晩お母様が寝る前には

全身マッサージをしているようでした。

 

うげーーー。。。。

私にゃそんな手厚い介護なんか

絶対に出来んわ。。。

 

 

親の介護に対して

自分がどれだけかかわるかは

その人次第なので

彼女にマジだみから

何か言うことは出来ないのですが

 

彼女は派遣なので

仕事のパフォーマンスが極端に下がってしまうと

派遣の更新が難しくなってしまいます。

 

もっと時間の都合のつく仕事に転職するか

もっとお母様に当てる時間を減らすか

ちょっと考えてみたら?

というようなニュアンスの話を

パワハラにならないよう

サラッと振ってみましたが

 

少々こだわりが強い女性なので

どちらも頑として受け入れません。

 

 

このままだと、

彼女は雇止めになってしまうかも

しれないな。。。

 

 

 

 

 

でも、彼女のお母様は

こんなに介護してもらって嬉しいだろうな。

 

それに比べて私の介護はどうだろう?

もっと手を掛けるべきだろうか。

でもそうすると仕事を減らすしかなくて

そうしたら稼ぎが減って

老後の貯えも少なくなるし

母に掛けられるお金も

少なくなってしまうし。。。

 

母の介護を考え始めると

マジだみの心が

奈落の底に堕ちていく感覚に

なりつつありました。

 

いかん、このままだと

私は鬱になってしまう。。。。

 

 

 

そんな感じで

奈落に心が堕ちかけた時

 

「自分の死にざまは

自分が負うべきである」

 

という考えが

ともしびのようにぽっと灯りました。

 

 

母の介護のことになると

色々考えてしまうのですが

 

ではマジだみ自身はどうありたいかというと

出来るだけ娘や他人の手を掛けず

ひとり野垂れ死にたい、と

シンプルに思っています。

 

猫みたいな死に方が

理想と言いますか。。。

 

 

そうだ、猫だけじゃなくて

人間以外の生き物は多少の差はあれど

ひとりひっそりと死んでいく。

 

孤独死が問題、とメディアは騒ぐが

人間だって本来は

そのように死んでいくものなのだ。

 

だから、母がどのように死のうと

それは母が負うべき死に方だ。

私が責任を感じる必要はない。

 

 

 

ひとり禅問答になってしまいましたが

何が言いたいのかというと

 

死ぬまでの道のりがきつかろうが軽かろうが

それはすべて死にゆく人間が負うべきもので

我々介護する人間は

そこに介入できるものでない。

 

我々が出来ることがあるとすれば

寄り添うことしかない。

その寄り添い方に

正しいも間違いも善しも悪しもない。

介護する側がやりたいようにやればいい。

 

 

やれる範囲でやればいいのだ。

 

という、ありきたりですが

マジだみ的には重要な答えに

たどり着きました。

 

 

これまでは

母が外で事故に遭わないようにしなければ、とか

母がボケて大便まみれになっても

清潔を保たなければ、とか

母がいかに快適に暮らすかということに

注力していたのですが

 

そうではなく

事故に遭って死んでも仕方ないよね。

汚物まみれになっても、仕方ないよね。

 

もし気づかなくて

母が悲惨な死に方になっても

仕方がない。

 

という

「見捨てる」考え方に切り替えました。

 

そうすると

随分気持ちが楽になりました。

 

とにかくなるだけ自分が

楽であるように努めること。

母がそれを不満に感じても

私の知ったこっちゃない。

 

 

私は

出来ることを

出来る範囲でやるだけだ!

 

母の人生も大事だけど

私の人生も大事なんだ!!

 

 

今日もくさくてゴメンなさい。イヒ