ある平日の朝
マジだみが自宅の玄関先で
通勤の用意を整えていると

マジだみの後から出勤する亭主が
洗面所で何か思い出したのか
歯を磨きながら
マジだみのところにやってきました。


亭主は何か伝えたいようですが
口がモゴモゴしていて
何をしゃべっているのか
マジだみにはよく聞き取れません。


早く出勤したいマジだみは
そんな亭主に少々イラつきましたが

このクソ忙しいタイミングで
亭主が声を掛けてくるのは珍しく
よほど何かを伝えたいのだろうと
マジだみは気を取り直し

あなたが口をすすぐまで待ってるから、と
亭主に洗面所へ戻るよう誘導しました。


タオルで口を拭いながら
さっぱりした顔つきで
再びマジだみの前に現れた亭主は

「佐藤さんの息子さんが
Jリーガーになったらしいよ!」と
まるで親戚の自慢でもするかのように
亭主は鼻の穴を膨らませております。


え!あの佐藤さんところの!?と
驚くマジだみに
「入団して2年目なんだって!」と
はしゃぎつつ
マジだみが出かける直前だったと
ようやく気付いた亭主は

ごめんごめん、行ってらっしゃい、と
言葉を残して
ひげを剃りに洗面所へ消えていきました。



佐藤さんの息子さん
夢を実現したんだ。。。。
すごいなぁ。。。。


自宅最寄り駅への道すがら
マジだみは久しぶりに
苦い砂粒のような思い出が蘇りまして

そのざらざらした気持ちの隙間に
嬉しさが染み込んでいくような
何とも言えない感覚を抱えたまま
ラッシュの始まる
駅の改札を通り抜けました。




佐藤さんとは
15年前に亭主を雇ってくださった
小さな建築設計事務所の所長
兼オーナーで

その事務所は
景気に左右されやすい
建築業界のあぶくの中

今でも東京の中心地にあり
業界の多方面で重宝されているようです。


亭主が佐藤さんと出会ったのは
20年近く前
亭主が大手建築系金属メーカーの
社員だった時で

佐藤さんの事務所は
亭主の勤め先の下請け企業でした。


その頃は、バブル崩壊が終息を迎えた
後に「失われた20年」と呼ばれる
長い不景気の前哨戦で

建築業界全体の景気が底をつき
財閥系企業やゼネコン以外は
青息吐息の企業で溢れておりました。


一級建築士の資格を持っていなかった亭主は
若手ならではの仕事の忙しさと
一級建築士の資格を取るための予備校通いと

厳しい二足のわらじ生活を
続けておりまして

一級の試験に何度チャレンジするも
合格する気配はなく

次々と一級建築士になっていく
同級生や同僚の朗報を耳にしては
ポストに届く不合格通知にため息をつき

それは仕事にも暗い影を落としまして
ミスをしては会社の上司から
叱られる日々を送っておりました。



そんなある日
勤め先の部長から呼び出された亭主は
地方の工場への出向を命じられます。

それは
出向を拒むなら退職せよ、という
事実上のリストラでございました。


リストラの対象者が
年齢が高く所得の多い管理職ではなく
若手で給料の少ない自分であったことに

一級建築士も取れない
仕事も満足に出来ない俺は
ダメ人間なんだ。。。と
亭主はふさぎこんでしまいました。



工場に出向はしたくない。。。。

だからといって
転職しようにも実務経験が浅く
一級建築士も持たない自分は
これからどうすれば良いのか。。。


学生時代から公立中学、公立高校
地方の国立大学と大学院、
東京の大手企業への就職。。。と

順風満帆に己の人生を歩んでいた
亭主にとって
それは初めての挫折であり

新妻であるマジだみには
見せたくない姿だったと思います。



そんな人生の底に沈んだ亭主を
引き揚げてくださったのが
佐藤さんでありました。


半人前でコミュ力も無いけれど
実直な仕事をする人間だと
佐藤さんは亭主を密かに
評価してくださっていたようで

大手金属メーカーに比べて
お給料は下がるものの

「アンタをそんな風に評価する人なんて
滅多にいないんだから」
「私も頑張って仕事するよ」
というマジだみの後押しもあり
(というか、当時のマジだみには
そのくらいしか言えませんでした)

亭主は
大手金属メーカーを退職すると同時に
佐藤さんの事務所へご厄介となります。


何十人もの建築士を抱えていた
大所帯の前職とは異なり

佐藤さんの事務所は
所長の佐藤さんと他2名の所員のみと
殺風景な職場でしたが

佐藤さんを通じて
亭主の事情を知っている所員の方々は
亭主を温かく迎え入れてくださいました。


亭主の前職の会社は
ペデストリアンデッキ
(駅前に設置された
巨大な歩道橋みたいなモノ)や

駅のエスカレーターや
巨大なバス停の設置など
特殊な建造物の設計を行っており

それらのデザイン設計が
亭主の主な仕事でした。


一方
佐藤さんの事務所のお仕事とは

例えばエスカレーターを
既存の建物に取り付ける際

建物に無理な負荷が掛からないか
取り付けた後に倒壊しないか、など
構造的な安全性を検証し

問題があれば
それを解決する構法を考え

その構法に使える既製の部品が無ければ
特注でゼロからその部品を作って
施工会社に提供する、という

建築業界の構造分野で
かなりニッチな役割を担っていました。


そんなワケで
亭主の仕事のカテゴリーは
デザイン設計から構造設計へと
変化していきます。


建築業界では一般的に
「構造設計」の仕事に就きたいのであれば

割りと早い段階、つまり
大学の建築学部の学生であるうちに
「意匠(デザイン)設計」に進むか、
「構造設計」に進むか、を考え

「構造設計」に進路を決めた学生さんは
構造専門の教授の研究室に入り

実験や解析など
構造設計に対してある程度深掘りした上で
社会に出る、というのが
セオリーのようです。


しかし亭主の場合
学生時代は「意匠設計」の進路をとり
社会人になってからも構造設計には
ほとんど携わっていなかったので

一般的な進路とは異なる別の切り口から
構造の世界に入った亭主が
きちんとしたお仕事が出来るのか。。。

マジだみは多少不安を感じないわけでも
ございませんでした。


ただ、亭主は
幼い頃からパズルが好きで
積み木やブロック遊びに夢中になっていたと
亭主のお母さんから聞いていたので

まぁ、何とかなるでしょ、と
楽観してもおりました。


そんなマジだみの楽観視が
的を射ていたのか
佐藤さんの事務所で亭主は次第に
構造設計の楽しさに目覚めていきます。


しかも
佐藤さんの事務所に舞い込んでくるのは
先述した構造の裏方のような
地味なお仕事だけでなく

テーマパークに
巨大なシャンデリアを取り付けたり
東京モーターショーの
バイクメーカーのブースに
殊な装置を組み込んだり

銀座の自動車メーカーの建物の壁に
自動車が変形した
ロボットのようなオブジェを
取り付けたり、と

メカ好きガンダム好きな亭主の
遊び心をそそる仕事も
含まれていたようです。


所員の数が少なく
毎日午前様の帰宅と忙しい亭主でしたが

前職での妙な派閥争いもなく
毎日叱りつける上司もいないことから

そんな気楽さも相まって
亭主は目を輝かせながら
佐藤さんの事務所のお仕事に
邁進しておりました。


楽しく仕事をしていると
プライベートでも調子が出てくるのか

あれだけ苦戦していた
一級建築士へのチャレンジも
佐藤さんの事務所にお世話になった
翌年の試験では
1次、2次試験共にストレートで合格し

また、安普請ながら
マジだみ夫婦念願のマイホームも手に入れ
さらにその翌年には
亭主の愛娘であるミニだみが誕生します。



マジだみ夫婦の
拙い努力の成果もあったのでしょうが

亭主の人生の歯車が上手く回り始めたのは
やはり
佐藤さんの存在がとても大きかったのだと

マジだみは今でも
佐藤さんに感謝しています。


ちなみに
佐藤さんと亭主は年齢差はあるものの
偶然にも出た大学が同じだという
先輩後輩の関係で
マジだみとも同郷でありました。


そんな事もあって
佐藤さんは時おり美人の奥様を伴って
マジだみ夫婦を
食事に誘ってくださることがございまして

その歓談の中で、佐藤さんご夫婦は
息子さんの事を
よく話題に出されていました。


当時、小学校低学年の息子さんは
運動神経が抜群で
近隣のサッカーのクラブチームに入り
夕方はほぼ毎日サッカーの練習に明け暮れ

また賢いお子さんだったのか
インターナショナルスクールへ入れたりと
奥様は息子さんに
良い環境を与えんと努められて

どこまでも庶民のマジだみ夫婦は
そんな佐藤さんのまばゆい子育てに
感嘆の声をあげておりました。


そのような感じで
佐藤さんとは仕事だけでなく
プライベートでも
良いお付き合いをさせてもらっていて

マジだみ夫婦は
佐藤さんのご厚意に依存しながらの生活を
続けていたのですが

それと同時に
マジだみの中で、ある不安が少しずつ
首をもたげてきておりました。


それは
スカウトのような転職ではない
普通の転職の
ラストチャンスである「35歳の壁」が
亭主に迫りつつあったからです。


不況が続く中
勤め先の零細企業が倒産する憂き目に
何度か遭遇してきたマジだみは

建築業界の職業人として
移ろいやすいこの時世を生き抜く為には

ニッチな部分の専門家になる前に
その分野を広くカバーする実務経験が
絶対に必要だ、

という信念がございました。


マジだみ自身も
己の専門であるインテリアにおいて
例えば床材や壁紙、カーテンなどの
見てくれのコーディネートだけではなく

照明やキッチンやユニットバス、
ホームシアターなど
設備に絡む分野においても
プロとしてお客様の要望に応えられる
技術者となるために

契約社員や派遣社員に形態を変えながら
各建材メーカーへもぐり込んでは
実務経験を積んでおりまして

そのくらい広い経験値を持っていないと
インテリアデザイナーとして
長くは生きられない、と
先輩デザイナーを見て感じておりました。


それと同じ目線で亭主を眺めますと

亭主はニッチな構造部分では
専門家になりつつありましたが
肝心の建物全体の構造設計については
全くの未経験であり

このまま亭主が35歳を超えた後
もし
佐藤さんが何らかの事情で
事務所を畳むことになれば

もう若手とは呼ばれない
オジサンになった亭主は
また路頭に迷う可能性が高い、と
マジだみは踏んでおりました。


佐藤さんの事務所では
残念ながら
大規模建築の構造設計を賄う仕事は無く

それらの仕事の多くは
日建設計など大手~中堅までの
組織系設計事務所か
ゼネコンの設計部門が手掛けています。


もし亭主が
大規模建築の実務経験を積むならば
大手は無理でも
中堅の組織系設計事務所への転職を
しなくてはならないだろう、と
マジだみは考えておりましたが

それは同時に
沢山のご恩を下さった佐藤さんへの
裏切り行為でもあり

そんな話を亭主にするべきか
マジだみは随分悩みました。


しかし、ある夜
ズボズボと勢い良く哺乳瓶からミルクを吸う
安らかな顔をした
赤ちゃんのミニだみを眺めておりまして

これからは
マジだみと亭主だけの人生ではないのだ
ミニだみが成人するまでは、ミニだみに
人並みな生活を与えなくてはならない、と
腹を決めたマジだみは

午前様で帰宅した亭主に
「話がある」と
テーブルについてもらいました。



怪訝そうな亭主に
マジだみが考えていたことを打ち明けますと
それはちょっと。。。と亭主から
歯切れの悪い応えが返ってきます。


亭主は
ライバル企業の構造設計者と比べて
自分は未熟者であるという意識を
持ってはいたようで

また、大規模建築物についても
いつかは手掛けてみたいと
思っていたようですが

だからと言って自ら進んで
佐藤さんの事務所を辞めるのは
佐藤さんに申し訳がない、と
強く感じているようです。


もちろん亭主の気持ちは
マジだみにとって折り込み済み、
というよりも
マジだみの方こそ佐藤さんに対して
恩を仇で返す所業を
亭主に勧めたくはありませんでした。


しかし
子を持つ親になった以上

自分の気持ちを優先するより
どんな事態に陥っても
確実に仕事を続けられるような人間に
なるべきだ、という事と

佐藤さんの事務所から離れた亭主が
転職先の企業で
色々な大規模建築物を手掛けつつ
佐藤さんの得意な仕事を見つけては
仕事を佐藤さんに回すよう手配すれば

それも
佐藤さんへの恩返しになるのではないか
。。。。

そんなマジだみの説得に
亭主は心を少しずつ動かされたようで
ついに転職活動に重い腰をあげました。


コミュ力の低い亭主の転職活動には
時間がかかると
マジだみは思っておりましたが

亭主の経歴が
「意匠」「構造」それぞれの実務経験がある
ちょっと変わったものであったことと
一級建築士の資格があったことで
転職先は
わりとあっさり決まりました。


そして亭主は佐藤さんに
退職の意を伝えました。


佐藤さんは初め
「君がいてくれなきゃ困る」と
亭主を引き留めて下さったようですが

亭主の転職先が決まっていたのと
マジだみ夫婦の将来を慮って
亭主の退職を認めて下さいました。


亭主が
佐藤さんの事務所を退職した日の夜

「マジだみさんにヨロシクってさ」と
佐藤さんの伝言を聞かされた
マジだみは

本当に佐藤さんに申し訳なくて
涙がこぼれてしまいました。




マジだみは
佐藤さんに仕事を発注するような
一人前の構造設計士として
亭主が1日も早く
成長することを願っておりましたが

転職先では
「もっと仕事が出来る奴だと
期待していたのになぁ」と
上司から辛口を投げられて

亭主にまた
臥薪嘗胆の日々が訪れます。


それでも数年経つと
上司にようやく認められてきたのか

亭主は「大型木造建築」という
少々変わった分野の専門技術者として
体育館や大学の校舎、老人介護施設など
大きな建物の構造設計に
携わるようになりました。



とはいえ、亭主はまだ
佐藤さんに仕事を回せるほどの裁量権を
会社から与えられておらず

佐藤さんに恩返し出来る日まで
亭主には頑張って成長してもらわねば、と
マジだみなりに
亭主をフォローしておりました。



ところで
亭主が佐藤さんの事務所を退職した後も
SNSを通して、亭主と佐藤さんは
お互いの近況報告を続けているようで

マジだみは時折
亭主から佐藤さんの息子さんの話を
聞かせてもらっていました。


頭が良くサッカーが上手な
息子さんのために
佐藤さん夫妻は陰日向となりながら
息子さんの応援を続けていて

ご両親の期待を背負った息子さんは
サッカーの強豪で偏差値も高い
有名私立高校へ進学し
レギュラーとして活躍しておりましたが

ある時からパタリと
息子さんの話を聞かなくなりました。


マジだみの住まい近くには
Jリーグの本拠地がございますので
ご近所には
佐藤さんの息子さんと同じように
サッカーに明け暮れる息子さんを持つ
ご家庭が多く

そんなサッカーママさんのおひとりから
時々サッカー業界のお話を伺いますが

小学校からサッカーを始めて
高校を卒業した後も
本格的なサッカーを続けられる選手は
ほんの一握りで

さらに
Jリーガーにまで登りつめられるのは
ほんの一握りの中の
ひとつまみにも満たないようです。


もしかしたら
佐藤さんの息子さんも、こころざし半ばで
サッカーを離れてしまったのではないか
。。。。

息子さんは一体どうなったのか?


亭主もマジだみも
佐藤さんの息子さんの事を気にしつつも

亭主は仕事や地域のスポ少コーチ業に、
マジだみはミニだみの部活や受験にと
それぞれ忙しさにとり紛れて

次第に佐藤さんの息子さんの記憶が
薄れていきました。



。。。そして今朝

冒頭で書いたような
亭主からの思わぬ佐藤さんの朗報に
マジだみは満員の通勤電車に揺られながら
久しぶりに
佐藤さんの事を思い出していました。



ああ、
佐藤さんの息子さんは

きっと佐藤さんの息子さんだったから

サッカーを諦めずに
自分の夢を手に入れたのだろうな。。。

だって
赤の他人である亭主にすら
色々な夢を叶えさせてくれたのだもの。。。


1日も早く、亭主が
佐藤さんの恩に報いられるようになって

佐藤さんを裏切ったという
マジだみの心にまとわりついた
苦い砂のような思い出を
剥がしてほしい、と願っておりましたが


亭主が佐藤さんへのご恩を返す前に

佐藤さんの息子さんが蹴ったボールが
その砂粒を
少しだけ払い落としてくれたように
マジだみは感じたのでした。