最近
朝日がだんだん力を増してきて
日差しの鋭さに
出勤途中のマジたみは
日傘が手放せなくなってきました。
駅のホームに着く頃には
首元や脇に当たる洋服が
うっすら湿っていまして
少しでも風を送り込もうと
襟を引っ張りますと
風を送り込むどころか
イヤな匂いが内側から立ちのぼり
自分の体質に
嫌気がさしてしまいます。。。
マジだみはわりと強い
ワキガの持ち主であります。
その体臭はニキビと同じように
中学生の頃から主張しはじめまして
若い頃は何とかならんもんかと
アレコレ画策し
社会人になって
永久脱毛の施術を受けてから
若干落ち着いた様相を
見せておりましたが
アラフォー過ぎたあたりから
ワキガに加齢臭が加わるようになり
ジムに行って
大量の汗をかいた時なぞ
鼻が曲がるような異臭を
放つようになりました。
こうなると、もう
公害みたいなモノでして

更衣室にいる方々に
不愉快な思いをさせてはならじと
ジムに行く時は
消臭剤と制汗デオドラント持参が
必須のマイルールとなっています。
そのアイデンティティからか
マジだみは良い香りのする花々が
昔から好きでして
小学生の頃は外出先で
金木犀、梅、くちなしや水仙を
発見すると
その芳しい匂いに浸るため
一目散に木やフェンスをよじ登っては
低い鼻を突き出しておりました。
特に思い出深いのは
マジだみの育った借家の庭先に
毎年夏になると一輪だけ付ける
小さな薔薇です。
夏が来て薔薇の蕾が膨らむと
毎朝手のひらで
そっと頭を撫でたり
真紅の花弁が開きますと
匂いを嗅ぎに草履をつっかけて
しょっちゅう庭先に降りるほど
その薔薇が好きでした。
大人になり
マジだみが九州から
関東に引っ越してきた時
こちらでは様々な場所に
薔薇園があることを知りまして
薔薇の季節である夏と秋に
マジだみと同じように花好きな
マジだみの母を連れて
色々な薔薇園に足を運んでいます。
で、先日は
「旧古河庭園」という薔薇の名所に
やってきました。
旧古河庭園に咲く薔薇は
枝の一本一本まで丁寧に手を掛けて
育てているのだろうなぁと
思われるくらい
それぞれが宝石のように
輝いて見えます。
他の薔薇園では
好きな薔薇やイマイチな薔薇など
マジだみの中で
好みが分かれるのですが
ここはどの薔薇も甲乙つけ難く
マジだみの母とふたりで
うっとりと見惚れてしまいました。
旧古河庭園には他にも
沢山の品種の薔薇が咲いていて
ヨーロッパの伝統美を誇る
艶やかな薔薇もあれば
奥ゆかしい情緖を湛えた
和の薔薇もあり
また洋薔薇と和薔薇を掛け合わせ
花弁に不思議な色合いを
持つ品種もあり
それらの品種は誰かしらの手で
生み出され
種を絶やさず育てられ
後世に生きる我々の目を
楽しませてくれます。
庭園から視線を上げますと
その正面には西洋風の
立派なお屋敷がすっくと
構えています。
ここにはもともと
明治時代の政治家陸奥宗光
という偉い人の別邸がありまして
宗光の二番目の息子さんが
古河家へ養子に入ると共に
その別邸も古河家に移り
以降、古河家の人々が
自分達の本家として管理していました。
時を経て
お屋敷を建て直しする時
当時日本に来ていた
イギリス出身の建築家
ジョサイア・コンドルという人に
新しいお屋敷とお庭の設計を
依頼します。
彼は10歳のころに観た
ロンドン万国博覧会がきっかけで
日本に興味を持ち
ロンドン大学で建築を学んだ後
東洋オタクで知られた
ウイリアム・バージェスの
設計事務所で実務経験を積み
その後
明治政府のお雇い外国人として
日本にやって来て
西洋建築を日本に広めるために
東京大学工学部建築学科で
教鞭を取ります。
コンドルは
学生に西洋建築を教える一方
この旧古河邸と庭園などの
住宅設計や
社会の教科書にも登場する
鹿鳴館やニコライ堂など
歴史に残る大型建物を手掛けまして
日本における
西洋建築の礎を築きました。
コンドルは他にも日本画や落語など
日本文化にも親しんだ
文化人でもありまして
彼が設計した建築物は
西洋様式一辺倒ではなく
和様も取り入れ
建築に様々な折衷を試みています。
旧古河邸もその試みの一つで
建物の1階は洋風、
2階は和風といった形で
それぞれの様式を上手く
組み込んでいます。
ちなみに
コンドルの教え子のひとりに
辰野金吾(たつのきんご)
という人がいます。
金吾の出自は
佐賀県の下級藩士の家なのですが
大変な秀才で
東大工学部建築学科を
首席で卒業しました。
コンドルも彼の才能を認め
金吾がイギリスに留学した際
コンドルのツテで
バージェスの設計事務所や
ロンドン大学で建築を学びます。
イギリスからの帰国後
金吾の知識は
国内でいかんなく発揮され
中央停車場(JR東京駅)や
日本銀行本店、奈良ホテル、
大阪市中央公会堂など
有名な建築を全国に遺しています。
また辰野金吾は
コンドルと同じように
自分が得た知識を後進に伝えるべく
東京大学工学部学長に就いたり
同じ佐賀の藩士の家出であった
大隈重信の要請で
早稲田大学工学部を創設したりと
人材育成に力を注いだようです。
このように、旧古河庭園を造った
ジョサイア・コンドルは
辰野金吾のほか
曾禰達蔵(そねたつぞう)
片山東熊(かたやまとうくま)
佐立七次郎(さたちしちじろう)など
後世に名を残す建築家を育て
彼らは後世に美しい建築様式を伝え
今でもその流れは現代の建築家に
脈々と受け継がれています。
初夏の庭園に長くとどまっていると
汗が噴き出してきました。
マジだみは
強い日差しから逃れるため
庭園の隅に落ちた木陰に入り
ほっと一息つきながら
庭園と建物を眺めまして
植物や建物に限らず
本物の美しさは
人々の熱意と不断の努力によって
継承されていくものなのだと
改めて感じ入っておりました。
。。。ということは
母から受け継ぎ
母は祖父から受け継いだという
マジだみのワキガ体質は
もしかして、生き物としては
薔薇のように
芳しいものかもしれません。
。。。いや、こればっかりは
やっぱりクサイよ。。。。。
今日もくさくてゴメンなさい。











