自分の知らないことが明らかになることは、エゴにとってとても怖いことのようです。エゴの視点から見えないものを見ようとするとその暗闇は、自分を否定されるかもしれないという可能性を秘めています。


一方でハイヤーセルフ(自分軸)の視点から見えないものを見ようすると、それは無限の可能性──どこに向かおうともその先には必ず美しい光があるのだという確かな可能性に開いています。



エゴにあってハイヤーセルフにないもの。それは一体何でしょうか?答えは恐れを変容させる力です。エゴは恐れから逃れようとしますが、ハイヤーセルフは恐れのなかに留まり、それを変容することができます。恐れを変容することは、その恐れは恐れではなかった、という気付き、majicでありscienceです。



ハイヤーセルフ(自分軸)に出会うことは個人的なことを超えた領域に出ることでもあります。


エゴの視点からこれを眺めれば、自分だけのために生きられないのなら、それは恐怖でしかありません。けれど私たちはエゴの領域だけで満足するようには創られていないらしいのです。欲しいものを得たり、食べたいものを食べたり、行きたい場所に行ったりすることだけが私たちの「したいこと」ではないようです。エゴはそれを知りたがりますが、その詳細を知ることはとても難しい。私たちが知っている「知る」という機能には、どうやら私たちの知らない「知る」があるらしいのです。それは直感などの感覚を通してやってくる「知る」、頭では理解できていないけど、身体のどこかでわかっているような気がする、など…理屈だけじゃ説明できない世界にも、私たちは存在しているようなのです。そこへは信じることでしか向かうことができず、どうしても魂はそこへ向かいたい。 それがハイヤーセルフの「したいこと」と言えるかもしれません。