怒りは何故込み上げてくるのでしょうか。私たちはそれを非常に不快なものとして捉えてしまいます。怒っていることに私たちは無頓着です。形を変えながら何度も繰り返し目の前にやってきて初めて、自分が怒っているのだと気付くことも多いでしょう。
怒りの中にとどまることなど、誰もしたくはありません。が、少しだけ私は怒っているのだ、という感情と共に時を過ごしてみてください。怒っているのは何故なのか、その答えを受け取れるはずです。
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私たちが怒るのは、
自分(や自分の愛しい人たち)を大切にして欲しいから
自分(や自分の愛しい人)を大切にしたいから
です。
怒りの本質は愛です。色で説明するとわかりやすいかもしれません。怒りを表す色もレッド、愛を表す色もレッド。怒りの中に流れているものは、あらゆるものを慈しむエネルギーなのです。
怒りにとどまるのは怖いことですが、怒りを感じた後にやって来るものは否定や拒否ではなく愛なのです。もしそこに辿り着けないならば、痛み(潜在意識のパターン)が繰り返されているのでしょう。痛みは、「怒らない方が悪い」「優しすぎる」「それくらいのことで怒るなんて」「自分を曲げたら負けだ」などとあなたに囁きかけているかもしれません。
怒りが覆い隠している愛に触れることが出来たなら、握りしめていた記憶は必要なくなり、自然と手放されていくでしょう。(潜在意識は書き換えられ、そのパターンから逃れることができるでしょう。)
このプロセスが私たちにもたらすことは、怒りが現れるのはエラーではなく、その怒りをどうするかは怒り(愛)を感じたあとでやってくるバランスに委ねても良いのだという理解です。