山口組のキッシンジャー 黒澤明会長との出逢い | 積み木の家

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21で心肺停止になり、九死に一生を得る。死にかけた人間は強さも弱さも知っている。バブリー時代、銀座の一流クラブで№1に上りつめるまでの苦悩と大物芸能人との出逢い、積み木くずしの主人公、穂積由香里との歩みを書いております。

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東京に来る度に寄ってくださった人が、黒澤明会長。
名刺を見た瞬間に驚きました。


映画監督と同姓同名。
監督ではないので顔はちがうのは当然。


何回か食事したりしてるうちに、詳しく話してくださるようになりました


積み木の家-舞川めだか



周りにいる人達は現役。
企業の社長や企業舎弟もいました。
知れば知るほど、人脈が素晴らしい。


本来なら黒澤会長は現役のはずであった。

三代目は田岡組長。
大変な時期だったのは間違いないでしょう。


ですが、お金に困るような方ではございません。


ここに書いてるように、桁ちがいの仕事をしてましたからね。
真っ当な仕事とグレー


とにもかくにも頭のきれる人でした。
強さと優しさ、権力、名誉、地位を持ち合わせた会長。

私が言うのも生意気ですが、言うことなし。
理想の人。


お金にも、心にも余裕がある。
普段は全くといって怒ったところを見たことがない。

ポーカーフェイス。
マフィアみたいな感じを思わせる。

たとえ元極道と聞いたところで驚きはしなかった。 銀座の高級クラブで不良がいないクラブはない。


若い衆が入ることは滅多にない。
外で静かに待機。


大抵、会長、組長(幹部)クラス。
黒澤会長には大変よくしていただきました。


普通のホステスからも沢山のアプローチがあったにも関わらず、私を気に入ってくださったのは、例の写真と手紙。


とても印象強かったようです。
しかも好印象。

嬉しいかぎりでございます。

極道で名を残した有名な黒澤 明会長のことを、私としたことが、何と「黒澤さん」と呼んだのです。


会長は少し驚いた顔で「何十年ぶりだろう。黒澤さんって呼ばれたのは」
さすがに焦りを隠せませんでした。


私「すいません。」
会長「全然かまわないよ」


そんなことを言われても…
たった一度だけの、さん付け。


堅気の会社を世界的に手広くやっていたので忙しい毎日だったのを覚えてます。


フィリピンにも度々行かれてました。


続く


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