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川村記念美術館

先週末は佐倉の川村記念美術館に行った。朝起きて、日曜美術館を見て、急に行こうと思ったのだ。

四街道駅からタクシーに乗る。運転手さん曰く、大日本インキの税金対策である由。

入り口でチケットを買い、なだらかに蛇行する、建物玄関への道を下る。降りきったところが開放感のある前庭になっているのだが、建物前に開ける芝生の様子やかなり大きい人工池の様はゴルフ場そのものである。池越えで、あの林の手前に落とそうか、などと思案したくなったりする。健康的であり、実業的である。

クリスマスの日であったので、前庭では地元のコーラスの方が歌を歌っている。「がまはがまでも、しろくのがーまー」

美術館は、入ってすぐが二階までの吹き抜けになった円形のスペースだ。その奥に印象派の絵画の展示室、自然光が降り注ぐ回廊のような小部屋を過ぎ、奥に日本画のスペースがある。そこから右に折れた奥が企画展示室だ。二階建てになっていて、リヒターの展覧会をやっていた。スペースに余裕があり、採光も柔らかく、人も少なくて良かった。

運転手さんの発言が正しければきっとたくさんお金をかけたのだろう。コンクリートの塊でヨーロッパの城(塔)風の建物を建てるセンスをのぞけば、全体にゆったりしていて僕が好きな美術館だ。

呪いの言葉

昔、翻訳本を読んでいて、「呪いの言葉を吐いた」という表現を見た記憶がある。ずいぶん違和感の残る言い回しだった。

後年気がついた事なのだが、これはcursing wordの日本語訳ではなかったか。もしそうであれば違和感は当然のものであると思う。恐らく日本にはない概念だから。

待ち合わせ

電車の、である。

総武線快速に乗ったら成田エクスプレスの待ち合わせをした。

昔、実家の近くを走っていた横浜線は単線だった。数駅に一回の待ち合わせ。総武線快速と異なり、4分も5分も止まっていた記憶がある。

駅を発車して電車が走り出す。当時まだ小学生だった僕は駅を離れる毎に反対車線の線路に目を凝らすのだった。電車が速度を上げるにつれて、向かいの線路が次第に自分の電車の走っている線路に近づいてきて、しまいにはそこに吸い込まれていく。その様を飽きもせずに到着駅まで何度も何度も眺めるのだった。

書物続き

浪人を2年やった。得た事は二つである。一つは「試験が苦手である」ということを心底理解した事。もう一つはずいぶんたくさん本を読んだ事だ。

受験に関連する本を読んだのではなく、実家にあった明治から昭和初期にかけての文学全集を読み漁ったのである。

心を込めて読んだのではない。家人に隠れて(受験勉強をさぼっている訳だから)、こそこそと飛ばし読みをしたのだ。以後の生活に全く役に立たなかった代わりに、普通の方がほとんど目にする事のない小説や詩を斜め読みする機会を得た。

そのうちのいくつかの内容を未だに記憶していて、事務所で若い人達に偉そうに開陳したりする。きっと嫌がられているのだろうね。

書物

昨日から仕事関係の本を乱読している。いっぺんに何冊も何冊もテーブルの上に広げてあっちを読んだりこっちを読んだりだから本当に乱読だ。濫読、か。以前に、大変に学歴の高い人達の中で仕事をしていた事がある。その際、少しの間親しくさせて頂いた地学ご専門の方から言われた事。「本は買う為にあるのです。読む為に非ず。ともかく買って積んでおいて、あとから時間を探して読むのです。」

蒐集癖のある私には嬉しい言葉だった。それを言い訳に一読もされていない書籍が溜まるのである。

上野から谷中

旧岩崎邸に行った。体調が今ひとつだったので、少しだけ身体を気遣いながらの散歩だった。がらの悪そうな池之端の辺りを越えて庭園に至ると、均整の取れた洋館が現れる。どこが良いのかと言われると答えに窮するのだが、形、バランス、色、それらが全てそろったところで自分の好みに合う、としか言えない。庭から眺める六角形の張り出しやベランダの美しさは印象に残った。そこから谷中まで歩いて朝倉彫塑館に行く。道々、冬の午後の陽の下でホームレス、というかホームレス予備軍というか、薄汚れたおじさんたちが車いすでタバコを吹かしたり、新聞を拾ったりしている。上野だ。両生爬虫類館の建物の横を抜けて、根津を越え、谷中に向かって坂を上っていく。昔のままの小さい商店の並ぶ洒落た町並みだ。朝倉彫塑館に行くのは10年ぶりくらいだろうか。記憶に残っているままの姿だった。年代を重ね、黄泥んだホールの壁の色、遊水池を囲んで建てられた日本家屋の佇まい、全てが昔のままだ。以前来たときはせんべいを焼く醤油の匂いが立ちこめていた記憶があるのだが、嗅覚を失ってしまったので、これは今でもあるのかどうかわからなかった。

旧芝離宮庭園

大昔行った事があるはずなのだが、改めて訪れてみた。まとまりがあるのに、詰め込みすぎでなく、均整がとれているのに、嫌みのない、完成度の高い庭であるように思える。回遊式というのが正しいのだろうか。庭の中央に池が置かれ、周囲を歩いて眺める形になっている。池には2つの島があり、小さな橋が渡されている。冬、こういう庭を見ると幸せな気分になる。平日の夕方でほとんど人がいなかったのだが、前を歩いていた女性から写真を撮ってくれと頼まれた。見るからにインド人である。石灯籠と一緒に写して上げたあと、どの州から来たのか、と訪ねると、プネからだ、と。プネは何州だったか。マハラシュトラか、ゴアか、インドの電話のプロジェクトの仕事をしようとしたことがあり、そのときプネが対象地域になっていた記憶がある。もうかれこれ10年近く前だ。インドの人から見て、この庭はどういう風に見えるのか。これは想像もつかなかった。

品川港南口

食肉市場を見にに行った。平たく言えば屠殺場である。なんでそんなところに行ったのか。まだよくわからない。アレルギー性鼻炎の悪化でほとんど嗅覚を失っているのだが、それでも血と肉の匂いがするような気がした。目の前を牛を載せたトラックが構内に入っていく。広い敷地の周りを歩いてみたのだが、駅の反対側の搬入口から黒い牛が厩舎のような屋根付きのスペースに並んでいるのが遠目に見えた。こんな寒空に、壁のない屋根ばかりの倉庫のような、コンクリの冷たい床の上で、殺されるのを待っているのだ。殺されて、細切れにされるのだ。人類は、その肉片を食い散らかして、ともすれば食べ残してゴミにして、平和を謳い、博愛を標榜するのだ。

ただただ殺されるだけの為に、そこから解放される可能性がただの一パーセントもないままに、牛たちは寒空の下、立ちすくんでいるのだ。汚れ物を流す為だろうか、そのただでさえ冷たいコンクリの床に、人間がざぁざぁ水を流して掃除しているのだ。

すぐ隣にはインターシティのマンションが建ち並び、その一室ではクリスマスの飾り付けの光がきらきらと点灯し、家族が団欒しているに相違ないのだ。不条理。想像を絶する欺瞞。目を覆いたくなるような残酷さ。僕が人類を呪ったとして、誰が僕を非難し得ようか。

散歩

冬の曇り空の下、それも夕方から等々力渓谷に行った。大井町線に乗るのは15年ぶり、いやもっとかもしれない。駅の記憶はほとんどなく、初めて訪れる場所のようだ。車道から川におりてみると自然林に囲まれた渓谷だ。棕櫚の木が多いのが印象的である。自生ではないだろうな。川に沿って設えられた木道(コンクリート製かも知れない)を歩く。冬の冷たい空気の中、川面に覆い被さるような木々の間から垣間みる夕景色は大変に美しかった。浪人をしていたころだからもう20年以上まえだが、大凡、こんな事を日記に書いた事がある。「暮れ泥む冬の夕空。空の薄青色が夕焼けに溶け込んでいる。昼と夜が混ざり合うとき。そんな空を眺めていたら何だか怖い気持ちになった。」記憶に頼って書いているのだが、多分ほとんどこの文句だったと思う。当時、実家のある八王子に住んでいたのだが、甲州街道から一本はずれたバイパスのような道を歩いていて、冬の夕空を眺めていてそんなことを思い、日記に書いた記憶がある。そういう感傷は何歳になっても変わらないものらしく、今日も同じような気分になった。