私は数年前から段々友達と距離を置き始め
今は幼馴染みや、職場の人としか交流していません。
お酒を飲めなくなってから
感情を麻痺させる事で保っていた人との関係が
耐え難いものに感じて維持できなくなったのです。
その結果、すごく楽になれました。
ひとまず、これで良いと思っていました。
恋愛は、5、6年くらいしていません。
誰かを好きになる。
という気持ちが湧かなくなってしまいました。
特に困らないので
親しい人間関係について考える事は
ほとんどありませんでした。
ところが
今日、こちらのサイトで読んだ記事の一部に
ちょっと衝撃を受けてしまいました。
※上記リンク記事より一部抜粋
(すごく読み応えのあるサイトです!)
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思考停止をすればするほど
大脳の前頭連合野の神経細胞に「刈込み」が起きてしまうからです。
脳が勝手に「あ、この神経細胞はいらないんだな」と判断して、
どんどんちょん切ってしまうのです。
体の筋肉が使わなければ衰えるのと一緒です。
そして前頭連合野は、人間の人間らしさをつかさどるところです。
前頭連合野を損傷しても、人間は生きていくことはできます。
しかし「人間らしく」生きていくことはできません。
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この部分を読んだら
ちょっと心がザワザワしました。
※記事全体の主旨とはかけ離れているので
筆者の意図とこのブログ記事の内容は関連がありません。
数年間、一人のマイペース生活を満喫しているうちに
私の「人と繋がる神経細胞」は退化してしまったのかもしれません。
「恋する神経細胞」は、完全にちょん切れている気がします。
一人が快適なようでいても
この記事に目を奪われた。
という事は、
「何か感ずるところがあった」
のでしょう。
何か理由があるような気がしました。
さて、こういう時こそ散歩に限ります。
夕方、恒例の散歩に出ました。
日が長くなったので
新宿まで足を伸ばせます。
一か所で桜が満開でした。
ここの桜、毎年早めな気がします。
日が長くなって来た
暖かい春の夕暮れの散歩がとても好きです。
ビルも、夕焼け空も、木々も
全てが曖昧で街が美しく見えます。
夜へと移り変わる景色を見ながら歩いているのは
とても平和で穏やかな気分です。
ずっと昔から、この時間帯の街歩きがとても好きでした。
けれど、その昔
「誰かと生活を共にする家」
に向かっている事を思い出すと
何故かゾッとしていた事を思い出しました。
好きな人だったはずなのに。
何故なのだろうか?
そのままフラフラと歩いていたら
小さい頃の思いが出てきました。
「今日のお母さんは、どんな様子なんだろう・・・」
家で夕ご飯の支度をしながら
家族の帰宅を待っているであろう
母親の様子を思い
帰り道でゾッとしていたのです。
ずーっと忘れていた思いです。
どこにしまってあったのでしょうか。
友達やら恋愛やらの話から
こう繋がるとは思いませんでしたが
「人と繋がる神経細胞」を
あえて自分で切ってしまったのではないか?
という思いも浮かんできました。
そうだとしたら・・・
切ってしまった理由が気になります。
明日は出社で朝が早いので
今日はこれ以上突っ込むのは止めておこうと思いますが
週末にじっくりと掘り下げたいですね。
ブログにあげていると
備忘録にもなるので、思い返せるのが良いです。
続きもちゃんと書こうと思います。




