理解できないことが多すぎる | Someday, Somewhere

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朝鮮日報の記事の抜粋です


新聞記者生活の20年間にこれほどの無力感に襲われたことはなかった。見習い記者というネームプレートを首に掛けた年に聖水大橋が崩壊し、その翌年には三豊デパートが崩壊した。当時は社会部の1年生記者だったので現場を飛び回るのに忙しく、無力さなど感じる暇がなかった。


ところが、旅客船「セウォル号」が沈没してからというもの、どんな記事を書いていても罪を犯しているような気がする。事件(セウォル号沈没は明白な犯罪なので「事故」ではなく「事件」と呼ぶべきなのでそう表記する)発生当日は、当初予定していた記事が全て掲載された。


当時は「船中の高校生たちはほとんど助かるだろう」と漠然と期待していた。船底に穴を開けるなり、クレーンで船体を引き揚げるなり、鎖で船を縛って陸に引っ張っていくなりしてでも、あの分厚い鋼鉄を破りさえすれば、その中から生徒たちが泣きながら出てくるような気がしていた。



「エアポケット(空気だまり)に生存者がいる可能性もある」という言葉に希望をかけてもみた。

しかし3日、4日と時間が過ぎても、まるで映画の中の出来事のように思われた。今となってはセウォル号の中から誰かが生きて出てくる可能性は非常に低くなってしまったようだ。


考えてみれば、私たちの周囲には「セウォル号」があふれている。ソウル・オリンピック体操競技場でコンサートが行われる際、入場時にチケットをチェックするため入口を数カ所しか開放しないのは分かるとしても、退場時の出口まで一部に限定するのを見るたび、危険を感じる。


ほかの出入り口は内側から鎖で縛ったままになっている。公演が始まれば観客は通路や手すりの前に出てくる。誰も止められない。そうした秩序を守らせるべきアルバイト係員までもがチャンスだとばかりに公演を見て夢中になり拍手している。


世宗文化会館のように立ち見禁止の会場でも、ムードが盛り上がれば観客が舞台前にどっと繰り出す。止めたくても止められないほど、そうした観客の数は多い。


日本ではどんなに大きな会場でも一人として席を離れない。警備担当者は全員、公演中もずっとステージに背を向けて客席だけを見詰めて立っている。公演が終わると四方八方の出入り口が全て開放され、速やかに観客が外に出て行く。


韓国人の観客たちの熱狂度は世界一だというが、それは秩序がないということでもある。それでも記事に「観客はこぞってステージ前に押し寄せ、歓声を上げた」とだけ書いてきたのだから、韓国という巨大な「セウォル号」を目の当たりにしながら見て見ないふりをしてきたのも同然だ。


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この事故の映像で一番記憶に残っているのは初日、まだ船首の一部が海面から出ているのに

空にはヘリコプターが数機とび、船の上には誰かが乗っていた映像。

ただ何も出来ぬまま報道したり見ているだけ・・・。

一番の勝負のときにあまりにも無力で、切羽詰まった感のない映像でした。

全てのことに共通ですが初動にどう対応したかが結局は最後まで尾を引くのだと思います。


ドアを閉めて限られた場所からしか退出させないとはひどいですね。

日本の公立施設の場合(たぶん民間施設もそうだと思いますが)、公演等をしようとする場合、

非常時の対応等の計画を提出させられます。それはプロの公演に限らず一般の人が催事をする場合もです。


必ず非常時に誘導できる人を配置するように言われます。だから通常、各出入口には人を配置しておいて、ドアの開閉がすみやかにできるようにします。

そういうことが徹底されています。


あちらは根本的に考え方が間違っています。主催者は管理しやすいというか、余分な経費をかけないですむでしょうが何かあればパ二クッて怪我人が多数発生することが目に見えています。

本当に不思議、理解できない。