ちょっとまじめに・・・ | Someday, Somewhere

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~ようこそ、詩音(shion)のブログへ~

今日のクローズアップ現代を興味深く見ました。


テーマは日本語、日本の歌謡についてでした。

昨年秋ころから、由紀さおりさんの歌が欧米で人気があるという現象について、いろいろな角度から検証されていました。


由紀さんの独特の声や表現力ということと、日本語の歌詞が作る世界感や雰囲気いというものが、言葉がわからなくても外国の方に、その景色や情景が伝わるということが大きいようです。

そこに普遍的な世界があるから「共感する」ということでしょうか。


ゲストのアメリカ人の詩人の方が、アメリカ人は自分たちに合わせる歌が聞きたいのではなくて、

自分たちに「小さい秋」(事例として童謡の小さい秋を上げられたもの。由紀さんは、「小さき秋」とはだれもが日常で感じる季節の移ろいと言われていました。)を差し出して欲しいのだと言われていました。

歌詞の向こうにある世界を感じたときに、言葉がわからなくても思いは伝わるのだと・・・・。


日本の歌は、音に対してのせれる歌詞が限られているので、結果、すごく吟味して作詞をし、それが歌詞の質を高め独特の世界を作ってきたようです。

最近、歌手の人たちの中でも、「昭和の歌はいい歌が多い」ということをよく言われています。


昔の歌は歌詞がいいですね。

阿久悠さんの歌詞って決して言葉は多くないのに、その情景や情感を伝えています。

余分な言葉がないです。そぎおとして必要な言葉だけになっている感じ。


しかし、最近の歌詞は妙に説明が多い。どうして、こうして、だから・・・みたいな。

そういう点でクリエーターの質が下がっているのかもしれないですね。


曲にしても童謡・唱歌の類の曲は日本語が崩れない作曲になっていたけれど、今は言葉のアクセント

が変わってしまうような曲になっているものが結構ありますね。

これじゃないといけないスタイルがある訳じゃないでしょうが、どうかなって思います。


このブログでも何度か書いてきましたが、私は日本語がいい加減な歌は嫌いです。

歌詞がいい加減、日本語の言葉に聞こえない歌はは、最初から受け付けません。

残念ながら、最近そういう歌が多いですね。


そうしている一つの要因が、kpopの日本語版や日本でデビューする韓国歌手用の楽曲だとも感じています。それは最終的には人の好みだからどうでもいいですが、何がいいたいかと言いますと・・・、

その中にあって5人トンは、日本語をおろそかにしない歌い方で秀逸でした。

そして、声が楽器のように重なって、言葉を一つの世界に変えていくのが、視覚的なものとしても感じました。


特にジェジュンの声や歌い方は、由紀さおりさんに通じるものを感じるので、ぜひ自分のスタイルを確立して、貫いて欲しいです。


詩人の方が言われているように、合わせることが売れることではないのだと思います。

それで売れるなら世界にはヒット曲はたくさんありますよね。


どっかの事務所のお偉いさんは、作詞作曲は世界中に張り巡らしたネットワークを活用し集めてきて、ワールドワイドに売っていくと言うインタビュー記事を読んだことがありますが、所詮、誰にも合わそうとする曲は、誰も感動させることはできないということなのだと思います。その程度の曲は、広い世界どこにでも転がっているのではないでしょうか。(米国に進出した?某GGはどうなったのでしょう。あとB○○も)

JYJの3人は、日本語の世界もちゃんと理解、表現できます。

そういう経験がこれから先きっと生かされると思います。

表現力と創造力につなげ、他の歌手の歌に迎合することなく、彼らにしか歌えない歌の世界を

届け続けて欲しいと改めて思いました。


<つぶやき>

最終話へのコメントまだ返していません。すみません。ありがとうございました。

今日中には返します。