<追記です!>チャリティTシャツの販売のお知らせです | maison de R

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ブログの説明を入力します。

 

<追記です>

 

即納はとても数が少なくて

おそらくあっという間に完売になることが予想されます。

受注販売での受付も同時にいたしますので

ぜひ完売だった場合、

チャリティーご賛同いただける方は、

三週間後発送の受注にてご検討くださいませ。

 

<即納はこちらから>

MAISON de R

 

<3週間後発送の受注はこちらから>

MAISON de R

 

*

 

明日、1月20日22時より販売開始いたします。

 

MAISON de R ロゴ刺繍カットソー

MAISON de R

(こちらからどうぞ)

 

即納分は数が少ないので

3週間後(数日遅れる場合もございます)の受注も

同時にオーダーできるようにしています。

 

 

このチャリティTシャツの売上のうち利益は全て、
2024年1月石川県能登地震の
災害義援金として石川県に振込み送金いたします。
最終報告や金額などの詳細は、ブログにて行います。



■ご返品不可となります。
通常は原則返品可能ですが、
こちらに関しましては、チャリティという性質上
ご返品不可となりますことを
あらかじめご了承の上オーダーお進みくださいませ。

■¥8000(税別)

■カラー:白、黒、ネイビー、グレージュ

■サイズ:S、M、L

■寸法:
S 着丈65センチ、身幅49センチ、肩幅42センチ、袖丈59センチ
M 着丈69センチ、身幅52センチ、肩幅44センチ、袖丈60センチ
L 着丈73センチ、身幅55センチ、肩幅48センチ、袖丈61センチ

■納期:即納と、3週間後がございます。

携帯からオーダーいただく場合は

納期とサイズをスクロールしてお進みくださいませ。

 

 

 

 

164センチの私はSサイズです。

161センチの姉もSサイズでちょうどよかったです、

姪っ子は164センチで5~7号サイズですが

Sサイズをゆったりと可愛く着てくれています。

 

わりとSでも、ほどよくゆったりした作りです。

 

168センチの社長は、むにっとしていながらも

肩回りなどはしっかりと鍛えているタイプですが

Mサイズでちょうどよさそうです。

 

180センチ以上の次男や甥っ子、長男たちは、Lサイズですが

身幅はかなりゆったりとしています。

 

 

 

優しい色合いのモカグレージュ

チノパンやデニムにはこの色!だと思います。

 

社長はこの色ばかり着ています。

(普段黒をあまり着ないタイプ、グレーとネイビーが基本カラーです)

 

 

刺繍はすべて黒にしました。

黒だけグレーにしようかと悩みましたが、

黒にして正解でした、とても綺麗です。

 

 

デニムとの相性がよく、

次男は基本カラーは黒ですが、

このデニムとカットソーに黒カーディガンをよく着ています。

 

 

刺繍なので、プリントより少し大人らしさがある仕上がりです。

 

 

サイドシルエット。

シンプルな定番の使いやすい形です。

 

 

洗濯もすでに5~6回していますが

大きな型崩れもなくとても丈夫です。

 

 

ジャケットにも映える刺繍。

 

 

これから春にむけてスヌードと合わせてもかわいいです。

 

 

シンプルにカーディガンとトレンチでも

なんとなくいい感じに使えると思います。

 

 

ロゴTシャツより主張は強くないのに

どこかこなれ感があって気に入っています。

 

 

ネイビー。明るめの色だと思います。

これもデニムに映えそうな色です。

今年もトレンドにデニムは入っていますので

ぜひデニムにあわせても使っていただきたいです。

今季デニムっぽいボトムも考えているので

もし作れたら合わせたいなと思っています。

 

 

ネイビーのJKにあわせて。

もちろん黒にも映えます。

 

 

この写真は、トロジャケットですが、

今季もジャケット作りました。

セットするラップパンツもとても綺麗に仕上がっています。

 

ノーカラーかテーラードかを相当悩みましたが、

やっぱり顔の輪郭を選ばないノーカラーにしています。

胸の厚みのある方にも、薄い方にも綺麗に映えるので

やっぱりノーカラーって使いやすいと思います。

 

 

 

黒、ほとんど刺繍見えなくて、

何度撮っても難しく、、、申し訳ありません。

 

 

編集してコントラストを低くしたら何とかうっすらと、、、

着るとしっかり見えます。

光沢のある糸なのできれいです。

 

 

こんなカラー展開です。

 

使いやすいのは白で間違いないと思いますが

個人的には黒もいいなと思っています。

(なぜかあんなに苦手だった黒、25年ぶりに着るようになりました)

 

 

 

 

 

私は神戸の地震で実家である自宅が

全壊扱いとなった被災経験があります。

社長である夫も同じく当時、西宮で被災しました。

 

 

地震の時、私は24歳で、まだ結婚もしていなくて

姉は一か月後に結婚式の予定でした。

 

 

地震の日、

家の中はぐちゃぐちゃになり、壁がおちて、

電灯もぶら下がった状態。

 

あと10秒あの揺れが続いたら、

家はぺちゃんこに、つぶれていたのではないか、と

今でもそう思っています。

立って歩くことなど到底できない強い揺れでした。

 

床がアトラクションみたいにぐるぐるまわり、

鍵を閉めていたはずの寝室の窓は

がちゃんがちゃんと音をたて、

勝手に開いたりしまったりしていました。

 

 

家族がそれぞれ無事を声掛けで確かめ合った直後、

一階にいた愛犬のことが心配で、

マールは?!と叫びました、

母は痛い痛いと素足でガラスを踏みながら階段を下りて、

愛犬の無事を確かめました。

 

何が起こったのかもよくわからず、

携帯もない時代だったので、公衆電話にみんな並び、

ようやく順番がまわってきて、会社にかけたけれど

誰もでなくておかしいなと思いました。

会社のある神戸のほうが酷い状態になっているなんて知らず、

西宮のここが一番ひどい状態だとなぜかそう思っていました。

 

 

大切なものをバッグにいれながら、倒れたものを起こしたりして、

父はすぐに水を買いに走りなかなか帰ってきませんでした。

 

あっという間に夕方になり、

このままここにいては

次の余震がきたら家がつぶれるかもしれないと

私は急に不安になり、

家が心配だからという両親をなんとか説得して、

(愛犬は、被害の少なかった獣医さんが一時預かってくれました。)

私たちは近くの市民館へ毛布をもって避難して夜明けを待ちました。

 

 

明け方でした、

おなか減ったでしょう!食べてください、と

ボランティアの方が牛乳とパンをもってきてくださって、

その時はじめて、地震発生の朝5時から何も食べてないことに気づきました。

 

感謝と驚きで

(当時そんなボランティアの方がすぐに行動してくださるなんて知りもしなかったので)

そのパンやおにぎりを食べて、朝を迎えました。

 

 

朝になり、父はとうに起きて、家に帰る準備をしていましたが、

いつもはとにかく強い母が

朝になっても動かず、毛布に小さくうずくまったままでした。

いつもちゃきちゃきと動いている母の

そんな姿を見たのは初めてでした。

 

もう家に戻ろうと、

「お母さん」と背中をおして、声かけても

ちょっと待って、お母さんちょっと考えたいからと、

小さくなって毛布にくるまっていました。

 

あの時のことは、姉も強く記憶していて

時々思い出して話します。

あの時の母の様子で、

私たち家族は大変なことになったんだって実感したような気がします。

 

でも母は一時間もしないうちに、立ち上がり

そこからは泣き言一つ言いませんでした。

 

あの頃の母の年齢には、私はまだ10年ほどありますが

10年後の私が、結婚前の娘二人を持ち、

持ち家が全壊して新たにたくさんのお金が必要になる、という状況を

母のようにたった一時間そこらで、受け入れられるかと思うと

きっと無理です。

 

私は当時、両親の気持ちを

全く理解できていませんでした。

想像はできましたが、

実感としてその大変さは全くわかりませんでした。

 

 

父や母にも、定年後の人生計画があったと思いますし、

老後や私たちの結婚資金などいろいろあっただろうに、

すべて計画は崩れてしまいました。

 

 

それなのに、あのほんのひと時以外、

父も母も一切弱音は吐きませんでしたし、

落ち込んだ様子は見せませんでした。

 

 

仕事があるからと、

大阪の避難先に移動する私たち姉妹を笑顔で見送ってくれました。

 

すすだらけになった私達は泣きながら電車に乗って、

あまりにも普通の日常が動いている大阪で

自分たちだけ取り残されたような気持ちになりました。

 

 

避難先で、温かいお味噌汁を飲んで

それが本当に美味しくて美味しくて、

お父さんとお母さんにも食べさせてあげたいと号泣した日を思い出します。

 

 

泣きたいのは両親だっただろうに、と思うと、

今はもう父も母もいませんが、

本当に感謝しかありません。

 

両親はきっと、

被災したけれど、

家族、愛犬も、みんな無事だったということに

ただただ感謝して、

奮い立たせて頑張ってくれたのだと思います。

 

 

 

*

 

 

確か私の記憶がただしければ

全壊扱いとなったので

両親が支給してもらえた義援金は30~50万円だったと思います。

(市によって異なっていたと思います)

被災者にはローンは金利を低くしてもらったり、

5年間は金利のみの支払いで

貸してもらえる制度などもありました(据え置き制度)。

 

それでも両親はかなり大変だったと思います。

 

今もし、同じ状況になったら、、と思うと

どうしようもないほど怖いです。

仕事も家もなくなって、家族も、、、

想像するだけで本当に怖いです。

 

 

あの時、生まれたばかりの子供達がいたら、

妊娠していたら、

家族を介護していたら、

息子達の下宿先だったら、、、

 

想像してみてください。

怖くて怖くて、しかたありません。

 

 

*

 

 

自分は被災者だと言えるようになったのは

地震からかなりたってからです。

当時は、私などは被災者だと言えない、

家族も自分も元気で生きているのだから、と

そんな風にずっと思っていました。

それぐらい大変な辛く苦しい思いをした方をたくさん見聞きしたからです。

 

 

会社までの通勤は

まだ電車の線路がつながっていない駅間がいくつかあって

住吉から灘まで歩いたりして何時間もかけて通いました。

みんなぞろぞろと次の駅まで歩きました。

 

途中途中で、お花が供えてある場所がいくつかあり、

そこを通る際には、みんな自然に手を合わせて、小さく拝み、

また駅まで歩きました。

 

 

そんな毎日を過ごしていたら、

「生きている人たちが働いて、

街が元気になるように頑張るしかないんだ」と思いました。

 

辛い思いをした人達の想いを忘れずにいようと思いました。

 

 

 

*

 

 

地震に限らず、災害はどこで誰の身におきてもおかしくありません。

東日本も、熊本も、北海道も、広島や関東、栃木、兵庫県の土砂災害も、

そのほかにも毎年災害は起きて、被災される方もたくさんいらっしゃいます。

 

 

自分ができることを、

小さな力だからと思わず、行動する。

それが何より大事だと思っています。

 

 

今回のチャリティーTシャツにご賛同いただけたら幸いです。

(どうぞ無理のないようにお願いいたします)

 

 

 

*

 

 

 

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