言:トイレのドア | pumasi

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ソーシャルライフディレクター "しょへ" のこと。



『トイレのドア』

トイレの個室に先客者がいる場合、ドア叩きますか?

人が入ってるのが分かるように青窓が赤窓になる仕組みなのに、入ってるの知ってて、ドア叩いてくる人いますよね。というか、叩くのが普通なんですかね。

僕はクラクション鳴らしたり、自転車のべル鳴らしたり、そうゆうことあんまりしないんですよね。なんとなく苦手なんです。あれは一つの意思表示なんだろうけど、特にクラクションとかってタイミングがよく分からないんです。鳴らすタイミングがあればブレーキを踏むし、ハンドルを切るし、いつ前方のレザーを押す瞬間があるんだろうといつも思ってしまいます。そりゃ信号変わってもずっと前が進まなければ鳴らしますけど。色々と考えすぎなんですかね。知らない人にまで嫌われたくなくて、ってきっとどっかにそんな気持ちがあるんですかね。だから、余計な動きはなるべくしたがらないんだ。よく分からないですけど。

中に入ってる時に叩かれたら、叩き返しますか?
入ってますか。入ってますよ。ってやりとりですか?
急げ。分かりました。ってやりとりになるんですかね?
それとも、トイレ壊れてないですよね?そうです、入ってます。って確認なんですかね。

急げるもんなら言われなくても急ぎますよ。こんなところに長居したくないです。早く入りたいですよー、もう我慢できませんよーアピールだったらいりません。自分勝手に人を焦らせるのはやめて下さい。なーんて思う時もあったり。でもどうしても急いでる時は、助けてもらいたくもなるし、そんな時には必死でノックしちゃうのかもしれません。


どうゆう解釈をしていいのか、マナーとか常識とか曖昧な事多いですよね。そして解釈が違う事って時によくない事ありますよね。人を不愉快にさせたり争いを起こしたり。もっとそうゆう事、学校で習うべきだと思うんですよ。日常的なマナーから、ちょっとした食事のマナーとかも。数式説いたり化学記号覚えるより、日本の文化を継承したり、社会問題を考えたり、もっと実践的な学習をするべきだと思うんですよ。小学校の時の「道徳」の時間とかって何してましたっけね。

それとも、家庭で教わるべきなんですかね。いや、もっと言えば、教えるのは誰でも良いのかもしれません。地域のおばさんであっても、通りすがりのジェントルマンであっても。そうゆうコミュニケーションって現代で少なくなってますよね。
そして、常識のない人があふれてしまっていても、「我関せず」って感じで、誰もが自己防衛に走ってしまうんですよね。何かあったときに被害者になりたくないから。そして「こいつは無能だ。」とか、心の隅で感じるんです。きっと、友達同士でも注意しづらい様な、そんな軽薄な世の中になってしまいましたよね。

いやー、だいぶ飛躍してしまいましたが、色々思う事があるんです。
こういう話って、出来る友達ほとんどいないんですよね。だって、面白くないじゃないですか、盛り上がらないじゃないですか、こんな話したって。でもこんな話でも、自分の中では何かを考える時に必要な要素なんですよ。こういう考え方の積み重ねで僕が成り立っているもので。

僕のこんな一面を吐き出せるのも、ブログの良さですかね。というかおっさんになって来たんでしょうかね。そのうち政治の話とかし始めますよきっと。今はお酒を飲んでも、夢の話とか恋愛の話とか、昔の話とか、そんなにまだ煙たい感じではないですけどね。

ここまでヒトリゴトを羅列すると気持ちイイものです。

トイレだけに、水に流して下さい。