どうも虎丸です。

今日はいのちについて考えることを語っていこうと思います。

「もう死なせて欲しい。」と未来ある青年があなたに助けを求めにきたとします。

その時あなたは何と言うでしょうか。
おそらく「あなたには未来がある」とか、「そんな事を言うもんじゃない」と死ぬことから引き止めると思います。
そしてその青年もいつか我に返り、「あの時はどうかしていました。助けて頂いてありがとう。」とあなたにお礼を言うのではないでしょうか。


さて次にでは意思決定能力がないと判断されている身寄りのいない認知症の高齢者の場合はどうでしょうか。採血のたびに「なんでこんな痛い事をするのか。もういっそ殺してくれ。」と懇願してくる場合はどうでしょう。

最後に最先端の医療を施しても、すでに分娩後数日以内に亡くなることが決まっている、染色体異常を持つ胎児の場合はどうでしょうか。


現在の日本の医学では
「全てのいのちには本来生きたい。と考える本質的な性質がある。」と考え、全てのいのちを助けるのが正解とされています。

最初の例に挙げた、鬱病の青年を本人の意思決定を否定して、入院加療することができるのも、この考え方に基づくものです。

鬱病の場合は治療すれば、必ずこの青年のように再度意思決定が自分でできるようになります。


しかし、次の例にあげた認知症の患者は、今の医学では再度意思決定をできるようになることはありません。

最近では胃瘻を作るなど、本人に強いストレスを伴う延命治療は少なくなってきたようですが、本人がもし望んでなくても、我々は医学の考えに基づき、点滴を使い、薬を使い、いのちを長引かせなければならないのです。

リビングウィルを前もってきちんと示しておくことで望まない延命治療は回避できるかと思います。意思決定ができなくなる前に、リビングウィルできちんと意思が示されていれば、我々はそれに基づいて行動することができます。


さて最後にすでに分娩後数日で亡くなることが決まっている胎児の場合はどうでしょうか。

たくさんの管を繋がれている児の親が「もう子供を楽にさせてあげてください。治療をやめてください。」と言えば、治療をやめてしまっていいのでしょうか。

医学的にはそれはできないと答えて、治療継続を提案するのが正解かと考えますですが、これは実際には非常に難しい問題だと思います。

日本には国民皆保険があるため、このような贅沢な悩みが起こるんですね。と諸外国の知人に言われたことがあります。

その国では、普通に成長できない児はそのままにして看取るそうな。新生児治療の高額な医療費が払えないためです。

日本はに国民皆保険もあるし、高額医療制度もある。選択肢があります。

全てのいのちには生きたいと考える本質的な性質がある。とは言いますが、
一生のうち一回も意思決定ができない児にとって、この考えが正解かどうかなんて、誰にも分かりません。

しかし、その児の生きていた意味を持たせることはできるかと思います。

我々がいのちにできることはなんでしょうか。