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映画『隣人13号』

『隣人13号』という映画を観た。

漫画オタクの自分としては珍しく、原作の方(漫画)をまだ読んでいない。


「赤い部屋」

このシーンは原作ではどのような仕上がりなのだろうか。

抽象的なものや人間の内面などを映像化するのは、本当にとても難しいと思う。

難しい、では済まされない。

僕たち(観る側)の想像を遥かに超えた表現力が要される。

あのシーンはその点で、大変素晴らしかった。

一見ワケがわからない感じだが、そのわからない感触が想像力を沸き起こさせる。

俳優の演技力=表現力、更に監督の采配=表現力、脚本家の文章力=表現力…
ありとあらゆる人間の表現力が問われる。


そして結末。

まさか、「映画」というものでこんな終わり方があるだろうか。

「映画」と「漫画」…近いもののようで、まるで違う。

同じ「表現」や「作品」というカテゴリーだが、全く持って異なる。

それを混合して、一つの更なる「作品」となり。

だからこそ、「原作」のある映画はひと味違うのではないだろうか。

大衆受けも近年ではその辺の(原作なしの)映画よりも良い。



僕自身の主観だが、あくまでも傾向としてだが、
一般的に映画には「現実性=リアリティ」が求められてしまうように感じる。

その点漫画には、人々は甘い。

「漫画だから」「漫画みたい」等と言われてしまう程だ。

漫画には逆に、「現実には起こり得ないもの=現実を超えたもの」を求めている傾向が見受けられる。

夢・希望・勇気・恐怖・愛・醜さ・美しさ・温かさ・冷たさ…
全てが抽象だ。

シュルレアリズム(超現実主義)のアートが評価され始め、
人々の感性や想像力に働きかけ、それによって各人の感ずるものが異なってくるという事は、
当然のごとく存在している。

人々のそれらに頼っている、と言っても過言ではないだろう。

しかしながら、話は戻るが、
何故か僕には、いまだに大抵の人々が漫画を「下らないもの」「子供向け」として扱っているように見えてならない。

近年では「大人向け」(エロスではなく)の漫画も増えている。

増えている=世に出るべく出版される=需要がある。

需要、そう、求められている。

何故現代に「大人も楽しめる漫画」が必要とされるのか。

そして何故、漫画という文化が始まって以来、ここ数十年の間、それが必要とはされなかったのか。

その答えは明確で、日本での「漫画という文化」が評価され始めている、という事だ。

そして漫画家として「たかが漫画」と見下されながらも、
長い年月をかけ自分の作品に情熱を注ぎ込み、功績を残した人たちを
僕は尊敬してやまない。




……(´C_` ) …!!

井上三太だ。
そうだ。

TOKYO TRIBEを後輩に借りパクされたなー。

浩、早く返せよ。

おい。

俺もそろそろ隣人よぶぞ。