名物 Conductor | 記憶の中の宝探し 限りなき時間遡上

記憶の中の宝探し 限りなき時間遡上

珠玉の思い出を引き出して楽しんじゃおう!

 

 

本日、元号が令和と発表されたけど
これについての意見は
特に無し。チュー
 
 
それに~
心は平成…
 
いや、
昭和に置き去りになったままの
ゆめ太郎。

今日もまたまた、
過去の思い出を遡る記事を
綴っていきたい。
 
 
毎日、通勤通学で
電車を利用している方なら
お分かりかと思われるが、
 
最寄り駅の朝の様子や、
そこで出会う人、
さらには駅中の店員さんや
掃除の人に至るまで、
風体や顔、その日のご機嫌までもが
観てとれるようになる。
 
 
それは敢えてこちらから
意識的に観察しなくとも、
待ち時間に
自然と目に入る光景。
 
 
その~
お馴染みの光景の中で、
最も多く表情の違いや、
個性が顕著に出るのが
駅員や車掌ではあるまいか。
 
 
昭和の時代は、
自動改札機や
自動放送などもなく、
改札口にはきちんと駅員が居たし、
ホームには安全確認をする
駅員が配置され、
 
「エ~ 間もなく 2番線に
急行○○行きがまいります 
 
白線より下がってお待ち下さい」
 
 
と肉声での放送が当たり前であった。

例えば~
改札口を通ると
 
「おはようございます!」
 
と、挨拶をしてくる駅員も居れば、
下を向いて、帽子を目深にかぶり、
こちらが差し出す定期券も
ろくに見ようともしない人もいた。
 
 
駅員も
人間なのだから
その日の体調や、
機嫌が悪いことだって
あるだろう。
 
それを素直に
表情に出す者も居るし、
顔は笑っていても
心の中では怒っている!
という場合だってあるハズ。
 
 
それが
お客に認識されるかどうかの
違いなのだ~。
 
 
 
さて、
おいらがここで記したいのは、

恐らくこの世で
2人としていないであろう、
ある名物車掌のこと。
 
それに~
そんなに居ても困るし。


名物に旨いものなし!
などというが
 
この場合、

非常に個性的?かつ
毒々しい味のする
アナウンスが
未だ、あと味に残っている。
 
 

今から40年ほど前に
東京を走る京王線を
頻繁に利用していた!
 
という方なら、
すぐに思い出すことだろうけど

 
もし、該当者無しであっても
 
こういう、
とても珍妙な車掌が居た!
 
ということで
お読みいただいてほしい。
 
 
 
普段、乗車している電車の車掌が、
どんな滑稽な表情していたり
ユニークな顔していようとも
乗客の関知するところではない。
 
 
しか~し、
この車掌に限っては、
いったいどんな風な奴なのか
どの面下げているのかを、
ひと目見てみたくなるのである。
 
 
電車という限られたスペースで
一定時間、
そのとき乗り合わせた
大勢の人間は、
 
ほぼ同じ条件、環境下で
時間を共有することを
強いられるわけである。
 
 
これが重要なポイントで~
 
この名物車掌は、
公共的移動手段として
こちら側が避けられない状況を
逆手に取って
愉しんでいたに違いない・・・
 
と、私は今も思う。
 
 
とにかく、
初めて聞いた人は、
人を喰ったような文言に
意表を突かれ、
 
神経を逆撫でするような
挑戦的且つ、威圧的アナウンスに
思わず周囲の人と顔を
見合わせてしまうほどなのだ。
 
 
その名文句をざっと
いくつか挙げてみると・・・
 
 
「間もなく終点です
 これより先には行きません!」
 
「車内に読み終わった新聞雑誌を
置いて行くのはお止め下さい 
 
新聞雑誌を置いて行くと 
 
車内がゴミ箱のように
なってしまいますねー 
 
ゴミ箱に乗るのはお互い嫌なものです」

 
「発車間際の駆け込み乗車は
止めましょう 
 
駆け込み乗車は危ないのです 
時には死ぬことだってあるのです 
 
命は無駄にしないようにしましょう」
 
「最近、ぽかぽか陽気のせいか 
忘れ物が大変多くなっています・・・」
 
 
 
こういう類いの
信じ難いアナウンスをしていた。
 
 
一度、後ろの車両に乗ったとき
おいらは降りる際、
 
わざわざ車掌室近くまで行って、
顔を見てやろうと試みたが
 
彼は、しゃがんだり、
後ろを向いたりして
こちらのほうを向かず、
結局拝むことができなかった。
 
 
何度となく
この異風なる放送を聴いているうちに
免疫が出来て、
今日は何を喋ってくれるのか・・・
はてなマーク
 
 
などと
ワクワクしていた。
 
そのうち、きっと
ギャグや小話でも
語り出すのではないか
はてなマーク
 
 
私は何時しか奴の奇抜なトークを
期待していたのだ。
 
 
今から思うと、
彼は世間に対して
批判的精神であったのかも。
 
それとも
乗客を飽きさせないような
手段としてのパフォーマンスを
演じていたのか
はてなマーク
 
 
ひょっとして
通勤電車の車内は、
彼にとっての
舞台空間だったのかも知れない。
 
 
初めて聴いたときは
度肝を抜かれた衝撃で
少々ダメージすら受けたが、
 
もう一度、同じシチュエーションで
あの

“名アナウンス”
聴いてみたくなっている。
 
 
 
 
 
 
 
 
あれ以来、
彼みたいな名物が
 
令和を迎えようとする今まで
 
居た!という
令和(例は)聴かない…w
 

 
 
閲読いただきありがとうございました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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