能登半島地震の映像に

ふさぎがちになってしまうのは

私だけではないはず


自然の力の前には

人は無力なんだと

そんな気持に

なってしまう


でも

そんな

今だからこそ

私達は

学ぶことを

備えることを

しなきゃいけないのかも


能登半島地震の被災者に

支援できることをしながら

被災地でない私達は

そうなったときに

何が起こるのかを

学び備えることも必要なのでは

と思う


東日本大震災の時にも

被災地の映像に

強い衝撃と

悲しみに襲われ

そして

同時に自然の力に

恐怖を感じたのを

今でも覚えている

それは

今も深く刻まれて

テレビ画面に映し出された

被災地の様子を

ふと思い出し

どうしようもない悲しみに

襲われることがある


それは

二十歳になったばかりの

兵庫で起こった地震もそうで

あの時の

高速道路が

おもちゃのブロックのように

倒れている映像や

燃えてしまった街の様子が

現実だとは思えずにいたあの日を、

ふと思い出すことがある


新潟の地震も

北海道の地震も

熊本の地震も

各地で起きた災害


連なる山々が

そこらじゅうで

崩れている映像も

川の幅を越えて 

土砂が家々をのみ込みながら

流れてくる映像も


余震が頻繁に起こる危険な中で

必死に救助している姿と

土砂の中から救い出された

幼い子供の姿や

家族の救助を

祈りながら待つ姿や

助け出された大切な人が

すでに亡くなっており

辛い現実の前に

泣き崩れる人の姿に


どれもこれも

衝撃で

辛く悲しく

思い出すと

腹の奥底から

そういった感情が

ぞわーと押し寄せてくる



自然の恐ろしい力の前で

自分は何ができるんだろう

家族を守れるだろうか

だれかを救うことができるだろうか

手を差し伸べることができるだろうか

と考え

不安になる


だから

あの東北の地震から

不安な気持を埋めるように

備えを始めた


使うことがなく保管されたままの状態に

心から感謝して

使うことが

この先もないことを

祈りながら




ボートはなぜ?
と思いました?
うち川の横に建ってるので
浸水にも備えないとと思って
ちなみにプラスチックケースには
足で踏む空気入れも入ってます

ティッシュもトイレットペーパーも

在庫をそれなりに保管するようにしている

水も2㍑×6本を5~6ケース常備してる

飲んでは補充しながら


食料も

非常食は不味いので

保存期限は長いけれど

期限が迫っても食べる気になれなくて

買わなくなった

それよりも普段も時々食べる

カップ麺や切り餅を

もちろん焼き海苔もある

レトルトの

パスタソースやカレーも

お湯を注ぐだけの

スープや味噌汁も

食パンも2斤ほど冷凍して

普段も食べて

食べたら補充をしている



そういったものを

用意しているけれど

今回の能登半島地震で学んだのは

生きていく為のモノだけでなく

災害が発生したときに

生き残るための備えを

自分や家族の命を守ることが大切だと

強く感じた


ベットの横に履物の用意や

懐中電灯、笛も

ああ、箪笥の転倒防止も見直さなきゃ

婆様の寝室も

1階から2階に移そうかと考えているけれど

足腰弱ってきてるので、難しいかも




ブレーカーを落としてから避難も

この地震で学んだこと




東京に住む息子にも

避難場所となっている大学まで

スムーズに逃げることができればいいけれど

住宅が密集しており、火災が発生することも考えられる

なので、火災が発生したらすぐに避難できる

近くの広場を確認しておくようにと連絡をした


が、多分してないだろうなぁショボーン

だからGoogle Mapsで私が探して教えることになりそうだけれど

ただ、耳に入れておけば

アパート周辺を歩いているときに

広場が目に入れば

「避難場所にいいな」

なんて思うこともあるはず


普段癒しをくれる自然は

時に恐ろしく

私達に襲いかかることがある

それを頭に入れ

備えをしっかりしておこう


絶対に無い

は無いから