滋賀県大津市にある
小野神社と小野篁神社


小野神社の祭神は
天足彦国押人命
米餅搗大使主命

小野篁神社の祭神は
小野篁命

小野神社は
天足彦国押人命は第五代孝昭天皇の第一皇子であり、その天足彦国押人命から数えて7代目となるのが米餅搗大使主命
小野一族の祖である二神を祀っている

小野篁神社の祭神である小野篁は同じく小野一族であり、漢学者、歌人

同じ境内に二つの神社が並んで建つ




↓こちらの鳥居の向こうに見えるのが小野神社


こちら↓が小野篁神社


小野篁神社の社横に建つ
八幡神社と松尾神社



小野神社と小野篁神社に少し離れた場所に小野道風神社がある
祭神は小野道風
平安中期の書家であり、小野篁の孫にあたる




もう一つ
小野妹子神社も近くにあるんだけど
他に回りたいところがあったので断念
またご縁があれば参拝したいね

この神社がある地名からも小野一族と深い関わりがあるのがわかるね

小野一族の祖である米餅搗大使命は応神天皇の時代に初めて菓子、餅の元である【しとぎ】を作ったので米餅搗(たがねつき)の姓を賜ったと由緒書きにありましたよ
菓子、餅の祖神として、10月には国内の菓子業界代表者による しのぎ奉賛会奉仕のしのぎ大祭が行われてるそう
その業界の参拝者も多いそう

天足彦国押人命は尾張とも関係が深い
というのも、天足彦国押人命の母は尾張連娘である世襲足媛(よそたらしひめ)
また大和和邇氏の祖でもある

米餅搗大使主命については、父親が建振熊とされており、この建振熊とはどういった人物?と調べてみたら
神功皇后の新羅遠征に従軍しており、米餅搗大使主命の兄弟である大矢田宿禰命は新羅王の娘を娶ったとか
新羅とも繋がりがある
また、あの両面宿儺を討った人物とあり

おもわぬ所と人?と繋がって
ちょっとびっくりね

建振熊は忍熊王を討った人物でもある
神功皇后の命により、建振熊は武内宿禰とともに忍熊王をこの大津市逢坂へ追い込み、逃げ場のなくなった忍熊王は瀬田川に身を投げたとか

忍熊王は日本武尊の皇子である仲哀天皇の子であり、応神天皇と異母兄弟である
この戦いで忍熊王の同母兄弟である麛坂皇子も命を落としている
応神天皇は仲哀天皇の子ではなく神功皇后と武内宿禰の不義の子ではないかと言われてるよね
なんだか
なんだか
隠れてるものたくさんありそうねぇ

ま、そんな話はここら辺にして

小野一族には美人で歌人であった有名な小野小町もいる
小野篁の孫(娘とも)である
小野神社境内には↓がありました

小野小町といえば
美人でモテモテ
在原業平やら深草少将やら
深草少将は哀れよね
「百日通ったら 会ってやってもよろしくってよ」なんて小町にいわれ
せっせと通い百日目の大雪の日に凍死しちゃうって話
小町も高飛車だけど
百日通う深草少将も恐いよな
だってさ女がそんなこと言うのはさ
全く眼中にないってことだもんね
空気読まないとねぇ
潔く諦めるのも
必要よね
あっ、惜しかったかも?なんて思わせることあるかもよ、なんて思うのよね



そんな小町も
百人一首の有名な歌
「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに」ての
が切ないね

なんて
和歌の知識あるように書いてるけど
全くありませーん
和歌の本をいろいろ買ってはみるものの
ほとんど本棚の肥やしになってまーすキメてる



小野一族の小野妹子といえば遣隋使
小野妹子神社へは、そんなことから外交官や駐在員の参拝者が多いとか
小野神社でいただいた神社の由緒書きに
小野妹子は華道の創設者であり、今も華道家元【池の坊】によって免許の授与が受け継がれてると書かれていて、ちと驚いたよ


小野一族
ちょっと注目しちゃやね