私の育った家は、
父、母、兄がいました。
自営業で、よく働く夫婦で、
深夜に、準備や片付けをしにいくことも、
ザラにありました。


母は、いつも忙しそうにしていて
歩く速度も速く
追いて行かれそうだった。

テレビを見る家族でも無かった。
流行りのドリフとか、無し。

会話、、、
どうだったかなぁ。

学校の出来事を話した記憶はないけど、
小さい頃は「口から生まれた」と言われていたから
私はよく話をしていたんだろうなぁ。

母が怖かったから (印象
父に、いつもくっついて、
配達の車に乗せてもらったり
作業を見たり。
父は、私の話の聞き役。
私の居場所。

家の中では、、
母が他人のことを色々言ってるのを
皆が聞いているイメージはある。(印象


私は何か話をしたくて
リビングへ行くのだけど
結果的に思わぬ方向(母から叱られるとか)で、
「リビング行くんじゃ無かった」と思うことが何度かあったなぁ。(印象

家族の印象は、そんなもんか。。
少な!!

母は、お嬢様育ちだったそうだけど
嫁いだ先の親から
「子供要らない、産むなら出てけ」と言われたらしく、 
若夫婦で出て行き、ゼロから自営業を始めたそう。
 (全て親戚のおばちゃんから聞いた話)


全部捨てて
兄と私を産んでくれた。
「かわいい」と、よく言ってもらった気がする。
母は大変そうだったけれど、
あなた達を産むんじゃなかった、的な事を言われたことは一度も無い。

私が中学の頃、介護もあって
母は再び嫁ぎ先へ出入りするようになり。
介護も終わって、今は完全に嫁ぎ先を自宅として暮らしている。

伝統とか、骨董とか
私から見たら、自分の実力でない、
家系的な所にプライドがあって。(印象
お作法とか、、

話が合わなかったなぁ。。

で・・?  滝汗 えっと、えっと、、

「素直が一番」と育ててもらい、
それを
「他人の意見を素直に受け入れるべし」
と解釈してきたな。。

話を受け入れてきたなぁ。
反論、、しなかったね。

あの境遇の母に、反論なんて、、
できるはずがない。


反抗期も無かった。
ケンカ、、しなかった。
ケンカ、、しなかった。


これが、
今思いつく、私の育った家。
自分の記録として、残しておこう。
また何か思い出すかな。



梅が咲き始めましたおねがい

そういえば、お花の解説も、母からよく聞いたなぁ。茶道のお花とか。。
(興味がなく、記憶力もなく、スルーしていた)
普段家族は使わない表玄関に
いつも茶花っぽい花が生けてあったな。。