いったことも明日には変わる。
私がこまかいのかもしれないけれど、細部にまで神経の通っていない人々は苦手…。
できない、わからない、のはいいと思う。
人には力量があるのだし…
でも、横暴がまかりとおったり、無理を通せば道理がひっこむ的な感覚は正直言ってキツイ。
なぜなぜ…?
そんなにも厚顔無恥でいられるのですか。
人をきづつける事は即ち、命を奪うこと。
物理的に傷をつける事と同様に見えない傷は生まれるのです。
そうして身体に、心に、暴力を受けたものたちは、だんだんと衰退し、落伍していくー。
それは昨日今日のできごとではない。
大きな傷も小さな傷も一度つけば二度と癒されることはないのです。
それでも、
それでも、
人はごまかしながら…
冷たい風が吹きすさむ古いワラのような覆いでも、ボロボロの布切れのような外套でも、なんでもいいからといって、その傷を隠してがんばって命を生きています。
だから、人の心をえぐるような、ねじふせるような人の形をした鬼をみると嫌なのです。
強くなることは、えらくなることは、優しくたってできるのです。
どんな人にでも一定以上ふみこんではいけない、それぞれがあたためている心の宝を奪うことも、観ることも、触ることもしてはいけないと私は思うのです。
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プッチーニの遺作となったオペラ「トゥーランドット」では第二幕の最後(プッチーニの絶筆)に自らの命を絶った娘、リュウを抱きすくいながら、その父が嘆き歌う。
「傷つけられた魂は復讐するぞ」と。