最近続けて出てくれるカードは【マスター】と【成功】。
今朝のアドバイスに出たマスター。
私はわたしを偽らずに生きていこうと思った。
昨日から涙祭りでたくさん涙を流した。
誰かから「よくやっているね」と評価されたいと願っていた自分。
そこに重点を置いてはいけない。
評価するのは自分でいいんだ。
自分のこと、を全て分かりきっているわけではないけど、分かりきらない部分は分からなくてもいいんだということ。
それは自分が分からない領域に対しても同じ。
なんで❔なんで❔と追わなくていいんだと思う。
やりきれなさのオンパレードになってしまうだけ。。私の場合。
比較をネガティブに実行してしまうことになるだけ。
テキスト(Aは〇〇をしたからの結果)のようにできない自分を責める必要はないし、テキストの通りにしなければならないということも全然ないと思う。
自分が誰かより劣っているように感じるのは自分のしていることに確信がもてないから。
それだから誰かの評価に期待してしまうんだ。
型にハメて自分を評価しているのって自分を痛めつけているようなもの。
〇〇ができない自分。
誰かのようになれていない自分。
そこにはその人の世界があるだけで私の世界の中でそれを実現しなくてもいいこと。
私が自分に願うことは何か。
私は何をしている時が心地よくて楽しく感じるのか。
私は果たして〇〇を知りたいのか。
私にはこのやり方が合っているのか。
私が望むことをここでは体現できるのか。
そういう細かなことを知っていなかったのかなって思った。
誰かがやっているから。
誰かのように。
訳を感じられず流れてくる涙がある。
その原因は分からない。
今、それを知らなくてもいいんだと思う。
今は知る必要がないだけ。
ある部分で「ここをこうしていないと〇〇になるかもしれない」という幻想もあった。
それは依存という香りを放っていたような気もする。
自分を信じるってことがどういうことなのかなんて言葉で表現できなくても、なんとなくわかる。
ずっと昔の朝、まどろみの中で聞いた「自分を信じなさい」という声。
それは何か制限のあるものではなくて私の感覚で「自分を信じなさい」なんだと思う。
誰かにどう思うわれるかを考えていたらキリがないし、そこを判断材料にしないこと。
例えそれが偉大な人が言っていることだとしても、そこに私の全てを預けてはいけない。
それをすることが怖くても自分を信じるってことはそんなことでもあるのかもしれない。
タッタラターーーーッと紙吹雪が舞う中を誰もがいつも歩いているんだと思う。
泣いて泣いてどうしようもない時でさえも人生は成功の連続。
生きること・・・って、その人その人の歩みで道を開いていくこと。
生きること・・・って、誰とも比べようがないこと。
泣いて泣いて泣いた目がとんでもなく渋く感じる今朝だけど、今はまだ頼りない自分を信じて私は歩いていく。
どんな自分にも気づいていてあげて、どんな自分にもOKをだしてあげて、どんな自分でも抱きしめてあげよう。
うん、そうしよう