部活あるあるです。

 

私も学生の頃同じような経験があります。

きっとどこに行っても、こういうことで揉めている話ってたくさんありますよね。

 

そして、息子の入っているサッカー部の一個上の学年が同じようなことで分裂しておりました。

 

少し厳しいかもしれませんが、息子には少し厳しく助言をしています。

「じゃ、部活に来ている、ってだけで試合に出られる権利が得られるのか?」

 

勝つことが共通の目標であるならば、部活に来ない子が他の子たちよりも上手だった場合、先生(又はコーチ)は試合に出すこともあり得るでしょう。

先生だけを責めることはできないです。

 

負けてもいいから仲良しこよしのチームで出たいのかな。

すごく厳しい練習を毎日してきて、負けるような采配で良いのかな。

 

要は、なんで来ていない子に負けているのかって話ですよ。

男だったらグチグチ言ってないでレギュラーの座を勝ち取りなさいよ!

恨む相手を間違えている。レギュラーの座を奪えない自分たちを責めなさいよー!

※自分の子なので厳しいです。他のお友達には言いませんw

 

部活に来ていることだけに満足して、一つ一つの練習を軽く見ていないか。

同じ時間を過ごしている中で、時間を最も有意義に使う子が成長しているような気がします。

 

文句を言う暇があったら、人より多く走りこむ。技術を磨く。誰よりも努力。

これにつきます。

泥臭いかもしれないけど大事なことです。

 

ただ部活に出ているだけでとやかく言うのはお門違い。

揉めてる暇があるならリフティングの100や200やるべきです。

 

で、最も大事なことは、「あなたはサッカーが好きなんだよね」ってことです。

チームとして一番最初に確認することは、「サッカーが好きな人の集まりだ」ということ。

これがブレなければ、途中揉めたり争ったりしてもちゃんと戻ってこれます。

 

私は結構厳しいことを息子に言いますが、それは「自分の好きなことにも一生懸命になれない人」にはなってほしくないからです。

 

嫌いなことを一生懸命するのはなかなか難しいことです。

だけど、好きなことにも頑張れないような中途半端な人にはなってほしくないのです。

 

チーム(集団)プレイの難しさ(醜さ)と美しさは、紙一重だと思います。

キレイごとかもしれませんが、問題を解決できたとき、より一層チームとしての美しさが際立つ気がします。

 

だからこそ、このような経験は、とても大事なことだと思うのです。