マルコメのYou Tubeアニメがすごく好きで、
何度も見返してしまうのだが、
まさしく、このアニメのような世界に私の祖母も
住んでいた。
父は遅くに生まれた子だったので、私が小さい頃、
もう既に祖母は介護が必要だったのだが、
土間があり部屋に入る時は、靴を脱いであがった。

祖母の家に行くのが大好きだつたのだが、
昔の人の家は物が少なかった。物を持っても
戦争で焼け出されるからなのか、空襲がかなり
あったというので、逃げ場を確保する為なのか、
家具自体も鏡台や火鉢程度しか記憶にない。
広びろとした畳の部屋に祖母の寝ている布団が
ぽつんとあった。
たまにタバコ箱のような物から折り紙を出して
くれる事があり、折り紙もお店で売っている
鮮やかなものではなく、水色の粗末な物だった。

お菓子やジュースがあった訳でもなく、祖母の
家は井戸から水道を引いていたので、よく水を
飲んでおり、その水が楽しみだったのだが、
かすかな甘みがあり、夏はひんやりとして、
物凄くおいしかった。
祖母の家は古くからのみかん農家だった。
減反政策でアメリカからオレンジを輸入するから
とみかん山を潰されたが、
祖母の家のみかんはおいしかった。
今、スーパーで買うみかんより、酸味があり
すっきりとしていた。

あの物のない生活で祖母は困っている様子は
なかった。和服を着ていたが、服をそんなに
持っている訳でもない。炊飯器も洗濯機も
買わない。野菜は畑で必要なだけ育てて、
米は一族が食うに困らない分、水田で作り
売りにも出す。
魚は必要な分を30分程で見える海から採って
くる。
父が子どもの頃は鶏やヤギを飼っていたと
いう。

私はこの年になり、祖母の生活の意味を知る。
たくさんの
物を保有するという事は莫大なエネルギー
が必要だ。シンプルであれば、そのエネルギー
を他に回せるし、無駄金も使わない。
生活は質素かもしれないが、今の私が考えると
オーガニックで健康的な安心な食生活だ。

店も殆どなかったからかもしれないが、
自分達が食べるものは自分達で何とかする
人達だったと思う。
また、その頃は自然も豊かで、山に行くと
山菜やら茱萸、木通、琵琶など果物もとれた。
餅も臼と杵でついていた。
私は茱萸が大好きで、今も食べたいと思うが
お目にかかることはない。
サクランボでは代替はできない。

貧しいけれど、快適な暮らしだった。